サアカスの馬たち
~グレードレース メモランダム~
オルフェーヴル
【2012年 宝塚記念】苦節を乗り越えて輝きを増す黄金の遺伝子
「この馬と出会え、夢のような3年半を過ごすことができましたよ。調教助手の時代に見識を広げてくれたステイゴールドが父。全兄のドリームジャーニー(有馬記念、宝塚記念、朝日杯FS)に続いて、いろいろなことを学びました。母オリエンタルアート(3勝)との縁もかけがえのないもの。その全兄にあたるシュペルノーヴァ(4勝)に跨った思い出もあって、愛着はひと際です。家族みたいな存在ですし、家族より一緒にいる時間が長かった。産駒で凱旋門賞に勝つという新たな夢もできましたしね。感謝するしかない」
かけがえのない代表格に育ったオルフェーヴルについて、池江泰寿調教師はこう感慨深げに話す。
生れ落ちたときより窮屈なところがない好スタイルを誇り、サンデーサラブレッドクラブの募集総額は6000万円という高額の設定。育成先のノーザンファーム空港では出走をあせらずに育てられたが、それでも頭角を現すのは早かった。2歳5月には栗東近郊のグリーンウッド・トレーニングヘ。1か月後に入厩した。
「父の良さがストレートに伝わっています。回転の速さで勝負するジャーニーとは対照的に、より柔軟でダイナミックなストライド。兄より生まれが遅いのに、ひと回り大きなサイズ。飼い葉をしっかり食べてくれますし、同時期の体質を比べても数段、丈夫でした。自信を持ってデビューさせました」
ドリームジャーニーも第一歩を踏んだ8月の新潟(芝1600m)に初登場。上がり33秒4の末脚を駆使し、あっさり初勝利を収めた。ただし、思わぬ課題を露呈する一戦ともなる。
「普段は素直なのに、装鞍所で態度が豹変し、もうパニック。抑えられずに植え込みへ突っ込むほどでしたよ。レースで加速すると左に大きく切れ、入線後はラチにぶつかってジョッキーを振り落としてしまった。こんな面があるのかと、唖然とするばかりでした」
ホエールキャプチャにクビ差及ばず、2着に泣いた芙蓉S。京王杯2歳S(10着)では出負けしてリズムを崩し、直線も内ラチに体を寄せて追えずにゴールした。
「押したことでかっとしたのがすべて。参考外と考えています。少し時間はかかりましたが、苦い経験があったからこそ、謙一くん(池添騎手)は懸命になって努力してくれました。厩舎スタッフだけでなく、放牧先のノーザンファームしがらきでも、この馬向きの調整を工夫。目指す大舞台に賭ける気持ちはひとつに結集しましたよ。それに応え、一戦ごと着実に進歩を示してくれたんです」
シンザン記念(2着)のラスト3ハロンは33秒5の鋭さ。きさらぎ賞(3着)も流れに恵まれずに勝ち切れなかったものの、メンバー中で最速の末脚(33秒2)を爆発させている。大外を突き抜け、スプリングSで重賞を初制覇。クラシックの足音を察知するかのように、めきめき充実してきた。
皐月賞時は4番人気にすぎなかったものの、3馬身差の快勝。ダービーではウインバリアシオンの追撃を抑え、あっさりと2冠を奪取した。
「道悪になり、切れが削がれるのではと案じていたのに、想像以上の強靭さも兼備。ステイゴールドだけでなく、母父メジロマックイーンの血が騒ぎましたね。堂々たる勝利に感動しました。横で観戦していた親父(池江泰郎元調教師)も、拍手して喜んでくれて。ました。『俺にとっては孫みたいな馬だ』と」
順調に夏を越し、神戸新聞杯を2馬身半差で突破。そして、菊花賞でも無理なくポジションを上げ、直線で早めに先頭へ踊り出ると、危なげなく後続を振り切った。
「状態には自信を持っていました。ただ、3冠目に向け、なんとしても勝たなければならないとの思いが強まり、今後も味わえないだろう多大なプレッシャーが圧し掛かってくる。そのぶん、開放された心地良さは格別なものがありました」
菊花賞まで無敗で歩んだシンボリルドルフやディープインパクトとは対照的に、2戦目以降は4連敗した過去があるとはいえ、スプリングSから破竹の5連勝。フィジカル面の変貌も見逃せない。皐月賞時は440キロだった馬体が、きっちり鍛え上げた菊花賞では466キロに増加していた。
「伝説の名馬たちと比べても、これだけの成長力を示す馬は例がありません。春当時のパドックでは見劣りするスタイルだったのに、首さしやトモに筋肉が備わり、ずいぶん大人っぽくなりました。理想的な位置で運べるようになったのは、操縦性が高まっただけでなく、背腰の甘さが解消したため。瞬時にゲートを出ていけるようになりましたよ」
続く有馬記念では古馬を撃破。3歳にして日本を代表するチャンピオンに登り詰めた。ところが、阪神大賞典(半馬身差の2着)では3コーナーで大きく逸走。天皇賞・春(11着)へと進む前に、調教再審査をクリアする必要があった。本来のメニューと並行して試験の準備も課したことで、心身に多大な負担がかかった。
予定通りに宝塚記念へと駒を進めたが、立ち直るのに時間的な余裕はなかった。それでも、能力の違いを見せ付ける。前半は後方を追走していたが、直線で一気に馬群を割り、2馬身も差を広げた。
「いい時に比べると7分くらいのデキ。この状態で走れるのか、正直、半信半疑でした。当日の雰囲気も、そして4コーナーで包まれて外に出せず、馬場の悪い内側を通ったレース運びを見ても、最後の最後まで半信半疑。勝ったのを確認して、これは怪物だと思いましたね」
そして、フォア賞(1着)を経て、凱旋門賞(2着)に挑む。ゴール前でインに切れ込んで失速したとはいっても、馬群をひと飲みした空前絶後の脚は、後世へも語り継がれるだろう。厳しいローテーションに加え、馬体をぶつけられる不利がありながら、ジャパンCでも2着に健闘した。
5歳時は大阪杯(1着)より始動。鼻出血に配慮し、宝塚記念を回避する誤算もあったが、フォア賞の連覇、凱旋門賞での連続2着を達成する。引退レースの有馬記念は8馬身差のワンサイド勝ち。ベストパフォーマンスで有終の美を飾った。
「いい意味でも、悪い意味でも、想像を裏切ってきましたので、この馬らしいラストランとなりました。凱旋門賞にピークを持っていきましたので、やはり反動はあり、中間の調整は難しかった。それなのに、あまりの強さにびっくり。ファンのオルフェーヴル・コールを聞き、私も心のなかでは一緒にコールしていましたよ」
会心のゴールを決めても、たとえ敗れたとしても、希望がふくらむ一方だったオルフェーヴルの軌跡。種牡馬としても、ラッキーライラック(阪神JF、エリザベス女王杯2回、大阪杯)、エポカドーロ(皐月賞)、マルシュロレーヌ(ブリーダーズカップディスタフ)、ウシュバテソーロ(東京大賞典2回、川崎記念、ドバイワールドC)を輩出。さらなる大物の出現が待ち遠しい。