サアカスの馬たち
~グレードレース メモランダム~
エイシンフラッシュ
【2013年 毎日王冠】馬づくりの達人も感涙したプロフェッショナルな末脚
5歳時のジャパンCは9着、有馬記念も4着に終わったものの、翌シーズンになっても、大阪杯(3着)、Qエリザベス2世C(3着)と、確かな実力を誇示し続けたエイシンフラッシュ。秋初戦の毎日王冠は、「もう負けられない気持ちで臨んだ一戦」(藤原英昭調教師)。4番手で折り合いに専念し、ロスなく抜け出す作戦通りの完勝を収める。幾多の名シーンを演じたなかでも、味わい深いパフォーマンスだった。
社台ファームで誕生していても、イギリス2000ギニーの覇者である父キングズベストの産駒。ドイツ産のムーンレディ(その父はプラティニ、独セントレジャーなどグループレースを4勝)が母という底力に富んだ血脈の持込馬である。
「重厚なドイツの名門牝系。初めて見た当歳の後半でも、たくましい馬体をしていた。でも、歩かせると軽さも併せ持っている。柔らかい筋肉の持ち主で、切れ味だって見込んでいたんだ。デビュー戦(2歳7月の阪神、芝1800mを6着)に関しては、実戦への練習的な意味合いが強かった。その後の放牧で狙い通りに成長。与えた課題を順調にクリアしてくれたよ」
しっかり乗り込めるようになり、10月の未勝利(京都の芝2000m)で初勝利。折り合いを欠いた萩S(3着)の経験もプラスに働かせ、エリカ賞で2勝目をつかむ。
初の長距離輸送に加え、未体験の中山コースに替わった京成杯だったが、スムーズに3番手で折り合う。着差はハナだったが、ラストに向けてラップが上がる決め手比べ。長くトップスピードを持続させた。
「基礎がしっかりしていない若い時期に多くを求めすぎれば、脚元への負担も大きい。あの当時でも意識して筋肉量を増やさず、薄めの体につくっていたし、故障のリスクを回避しながら、慎重にステップアップ。無理せず重賞に手が届き、価値ある一戦になった。あの時点で先々への展望も拓けたからね」
クラシックの有力候補に躍り出たものの、鼻肺炎を発症するアクシデント。3か月の休み明けで皐月賞に挑むこととなる。並大抵の馬では力を出せない高いハードルだが、狙い定めていた1冠目。コンマ2秒差の3着と、11番人気の低評価を覆す健闘を見せた。続くダービーでも7番人気にすぎなかったが、イメージを一新する切れを発揮。すべてのホースマンがあこがれる栄光をつかんだのだ。
「運がある馬だと思う。もちろん、恵まれて勝ったという意味ではなく、ダービー馬となるのにふさわしい能力があった。それに、ふさわしい仕上げをした自負もあって、最高のデキだったよ。ただ、全部の条件が合致しないと簡単には勝てない舞台だもの。あの流れのなかでは、これしかないという走りができた。普通はありえない上がり(32秒7)を繰り出しても、無事に終えられたことが一番の幸運だと思う」
神戸新聞杯はクビ差の2着。だが、菊花賞への最終追い切りを終えた時点で左トモに筋肉痛を発症してしまう。微妙な歯車のずれであっても、それを修正するのは容易ではなかった。ジャパンを8着。有馬記念ではブエナビスタに次ぐラスト34秒2の上がりを駆使しながら7着に終わる。
十分なケアを施して再スタートした4歳シーズンも、天皇賞・春(2着)、宝塚記念(3着)、有馬記念(2着)と、善戦どまり。ドバイワールドC(6着)以降も連敗は続く。久々に閃光の末脚を爆発させたのが、5歳時の天皇賞・秋だった。
「無我夢中に勝ちにいき、ダービーでは念願がかなった。あれから2年5か月。本当に長かったよ。ミルコ(デムーロ騎手)も言っていたが、天覧競馬で勝てて夢のよう。まったく違った喜びだった」
結局、毎日王冠が最後の勝利となる。天皇賞・秋(3着)、ジャパンC(10着)を経て、有馬記念でラストランを迎える予定だったが、直前になって歩様が乱れ、回避することに。会見に臨んだトレーナーは、わき上がってくる感情を抑え切れず、こう思わず涙した。
「いろいろな試練があったからこそ、スタッフも成熟できた。懸命にがんばってくれた馬に感謝するしかない」
スターホースを育んだ経験を生かし、ますます敏腕ステーブルはレベルアップを遂げていく。一方のエイシンフラッシュも、種牡馬としてヴェラアズール(ジャパンC)を輩出。産駒は減少傾向にあるとはいえ、息長く存在感を示すに違いない。