サアカスの馬たち
~グレードレース メモランダム~
エイシンドーバー
【2007年 京王杯スプリングカップ】明るい未来を切り拓く堅実なファイター
中京競馬場のすぐ近所で育ち、当初はごく一般的な競馬ファンだったという小崎憲調教師。高校卒業後の2年間は、トヨタグループの自動車部品メーカー(株式会社デンソー)でサラリーマン生活を送っていたが、サラブレッドへのあこがれは断ちがたく、思い切って厩社会に飛び込む。森秀行厩舎で調教助手を務めていた間にも、ドバイやフランスへの遠征にも参加するなど、豊富なキャリアを積んだ。2007年3月、晴れて開業。わずか2か月後の京王杯SCでは初のタイトルを手にすることとなる。一躍、チームの名を高めたのがエイシンドーバーだった。
「でき過ぎで、怖いくらいでした。私より若いスタッフが多く、手探りでスタートしたなか、あの馬のおかげでムードが明るくなりましたね。みんなの気持ちもひとつになり、充実した調教を実践する基礎ができましたよ」
と、小崎調教師は感謝の言葉を送る。
ベルモントSに勝ったヴィクトリーギャロップが父。母エイシンジョージア(その父クリスエス、JRA未勝利)がアメリカに渡って産んだ一頭である。輸入後は順調に育成され、湯浅三郎厩舎へ。2歳10月、京都の芝1400m(2着)でデビューした。2戦目の同条件で順当に初勝利を収める。
筋肉痛による半年間のブランクを経て、500万下でも3着、2着、2着と堅実に歩み、3歳夏に都井岬特別を勝利。保津峡特別に続き、オリオンSも連勝を重ね、一気にオープンへと登り詰めた。
京都金杯(4位入線)は進路を妨害し、12着に降着。小倉大賞典(2着)、中京記念(4着)、新潟大賞典(5着)でも見せ場をつくった。安田記念(12着)を走り終えてリフレッシュされると、細身だった馬体もぐっとボリュームアップ。ゴールデンホイップトロフィーでは、後に短期免許で活躍するクレイグ・ウィリアムズ騎手にJRA初勝利をプレゼントした。
5歳時も京都金杯(2着)へ。あと一歩で勝ち切れなかったとはいえ、小倉大賞典は2着に健闘。そして、阪急杯(プリサイスマシーンと同着の1着)では、引退が迫った湯浅師に最後のタイトルをもたらした。
転厩緒戦のマイラーズCこそ出遅れが響き、7着だったものの、小崎師のもとでさらに調子を上げ、京王杯SCへ。かつてない瞬発力を発揮し、一気に馬群を割った。タイムは1分20秒0のレコードだった。
これが初騎乗となった福永祐一騎手は、こう驚きの表情を浮かべた。
「何度か跨っている蛯名さん(正義騎手)より『勝負どころで反応が悪くても、確実に伸びる』と聞いていたけど、直線で前が開いたら想像以上の切れ。いまの絶好のデキを維持できれば、もっと大きな舞台でもやれる」
馬群が固まり、厳しい位置取りとなった安田記念(6着)でも、メンバー中で最速の上がり(3ハロン34秒3)を駆使した。
マイルCS(7着)以降も未勝利に終わったとはいえ、阪神C(4着)、中山記念(2着)、マイラーズC(3着)などで善戦。6歳にして安田記念を3着した。なかなか状態が戻らず、8歳のエルムS(12着)でラストランを迎えた。乗馬となり、静かに余生を過ごしている。
たくさんの幸せを運んだエイシンドーバー。その堅実なファイトは、携わったホースマンの胸にしっかり刻み込まれ、新たな挑戦を後押ししていく。