サアカスの馬たち
~グレードレース メモランダム~
エイシンデピュティ
【2008年 金鯱賞】時間をかけて育んだ真っすぐな闘志
リンデンリリー(エリザベス女王杯、ローズS)、エイシンルーデンス(チューリップ賞、中山牝馬S)をはじめ、数々の名馬を育てた野元昭調教師(2011年に引退)。そのなかでも、トレーナー人生の最高傑作となったのがエイシンデピュティだった。
様々なカテゴリーにトップホースを送り出したフレンチデピュティの産駒。同馬の母であるエイシンマッカレン(その父ウッドマン)は、野元師がアメリカのセールで一目ぼれし、現役時代も愛情を注いだ思い出の一頭である。祖母はアメリカのターフを走り、G1の2着が2回あるラダナム。繁殖としての価値も見込んで輸入された。
「母親もすばらしい身体能力の持ち主。ただ、気性の難しさが災いし、期待ほどは出世できなかった。でも、あの仔は性格がまったく違い、並ばれて渋太い。どんな相手と走っても、大崩れしなかった」
と、馬づくりのベテランは感慨深げに振り返る。
「3歳の4月にようやくデビュー。爪が弱かったので、しばらくはダートを使ったんですよ。もともと芝向きと見ていましたし、経験を積みながら、着実に力を付けてくれた。走りが伸びやかで、先行しながら長く脚を使えます。折り合い面の問題もない馬ですので、距離は持つと思っていましたしね」
初勝利を挙げたのは3戦目の中京、ダート1000mだった。7月の有田特別では初めて芝を試したが、最内でもまれて10着に敗退。打撲傷を負い、半年間の休養を挟んだ。4歳緒戦の京都(ダート1400m)を勝ち上がり、以降はターフで堅実な成績を収める。
播磨特別で3勝目。ひと夏を越えて一段とたくましさを増し、宝ヶ池特別に勝つ。5歳春に快進撃が始まった。心斎橋S、オーストラリアTと連勝すると、初めて挑んだグレードレース、エプソムCもあっさり制した。
毎日王冠(8着)、天皇賞・秋(8位入線も進路妨害により14着に降着)は見せ場をつくれなかったものの、鳴尾記念はハナ差の2着。そして、ピークの6歳シーズンを迎えた。
3番手の絶好位で流れに乗った京都金杯。みごとに待機勢の猛追を封じる。スローの決め手比べとなり、着差はクビだったものの、堂々たる内容だった。東京新聞杯は接触する不利が響き、7着に終わったが、大阪杯を2着し、確かな実力を再認識させる。
これまで接戦を凌いで勝利を重ねてきた同馬だが、金鯱賞では鮮やかな逃げ切りが決まる。1馬身半差の快勝。さらなる前進に向け、トレーナーも自信を深めていた。
「もともと抜けた素質を見込んでいた馬。大坂杯では、あの強いダイワスカーレットに迫り、これなら頂点を目指せるかもと感じ始めていたとはいえ、文句なしの立ち回り。少し時間がかかりましたが、いよいよ本格化した手応えがありましたよ。すっかり風格が備わり、パドックでは自分の管理馬なのにうっとりしていたくらい。宝塚記念へも最高の状態で送り出せました」
初となる距離に加え、経験したことがない過酷な重馬場で行われた上半期のグランプリ。懸命に押してハナを奪ったものの、後続もプレッシャーをかけ、息を入れる余裕はなかった。それでも最後まで懸命に脚を伸ばし、クビ差だけ凌ぎ切る。展開無用のタフさが光った。
「いくら長く厩社会にいても、なかなかG1級の馬とは巡り会えません。リンデンリリーがエリザベス女王杯に勝ち、17年もの月日が経っていました。ただ、リリーの場合、ゴールした直後には故障(腱不全断裂により競走能力を喪失)したことがはっきりわかっていましたので、なんとも複雑な気持ちでしたね。定年が迫ってきた時期でしたし、もう大きな勲章とは縁がないだろうと思っていたのに。しかも、愛着の深い血統での栄冠です。喜びはひとしおでしたよ」
ところが、岡山の栄進牧場で英気を養っていたところ、右前脚の繋靭帯に炎症が認められた。早めに厩舎に戻り、根気強くプール調整で体をつくったが、有馬記念に向かう直前に症状が再発する。1年3か月ものブランク。結局、本来の闘志は蘇えらなかった。7歳時はオールカマー(14着)、天皇賞・秋(9着)、ジャパンC(6着)と歩んだものの、脚元が限界に達してしまう。
種牡馬入り後は苦戦が続き、2019年に用途変更。現在は功労馬として余生を送っている。それでも、馬づくりのベテランと勝ち取った輝かしい栄光は、未来へも語り継がれていく。いつまでも幸せにと願わずにいられない。