サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

エーシンフォワード

【2010年 マイルチャンピオンシップ】スピード王国を牽引したエースストライカー

 スピードタイプのトップクラスを量産してきた西園正都厩舎にあって、エーシンフォワードは01年阪神ジュベナイルフィリーズ(タムロチェリー)に続いて登場した貴重なG1ウイナー。トレーナーは陣営を牽引したエースストライカーについて、こう若駒時代を振り返る。

「アメリカの2歳トレーニングセール出身でも、メジャーな産地の生まれじゃない。早い時期に目一杯の鍛錬を積んではいなかったんだ。新馬(07年10月の京都、芝1400m)を勝った後、騎乗した祐一くん(福永騎手)が『次はどこの牝馬限定ですか』って聞いてきたくらい。線が細く、人が大好きな甘えん坊でね。女の子だと勘違いしても不思議はなかった」

 父はストームキャット系のフォレストワイルドキャット。米5勝のウェイクアップキス(その父キュアザブルーズ)が母である。ファシグティプトン社のコールダー・セレクテッドに上場され、29万ドルで落札された。

 同条件の500万下をあっさり卒業。重賞戦線へと駒を進める。ただし、NHKマイルカップ(10着)、さらにダービー(15着)と懸命に駆け抜けた反動か、その後は長期のスランプに苦しんだ。4歳時に8か月間のリフレッシュを挟んでたくましくなり、ようやく軌道に乗る。六甲アイランドSで2年ぶりに勝利を収め、ファイナルSも連勝。充実の5歳シーズンにつなげた。

 ニューイヤーS(クビ差の2着)、東京新聞杯(3着)と惜敗が続いたものの、ベストの1400mで念願のタイトル奪取がかなった。阪急杯のパフォーマンスは鮮烈。直線でインをこじ開け、一気に1馬身半の差を付ける。さらなる飛躍を予感させた。

「3歳時も素質だけでアーリントンCやニュージーランドトロフィーを2着。デビュー当時と比べて20キロ以上も体重が増えたように、決して早熟ではなかった。骨格にふさわしい筋肉が備わり、しっかり鍛えられるように。闘争心を高め、精神的にも変わってきた」

 外々を回りながら、高松宮記念をハナ+クビ差の3着。スプリントでもトップクラスの力を実証した。安田記念は10着に敗れたといっても、6ハロン通過が1分7秒6というハイラップを刻んで逃げたものだった。

 秋シーズンにまたひと皮むける。緒戦のスワンSこそ8着だったが、マイルCSをレコードタイムで優勝した。中団から鋭くインをさばき、2着のダノンヨーヨーとはクビ差。上位4頭が同タイムでゴールする大接戦をみごとに凌ぎ切る。

「すべてが噛み合わないと勝てない舞台。距離ロスなく運んだ岩田康誠騎手の好騎乗が光ったね。でも、スワンSが1番人気だったのに、13番人気まで急落。ちょっと評価が低すぎると、内心は燃えていたんだよ。久々だったのに攻めすぎた反省があったので、10キロプラスの理想的なスタイルに戻しての出走。状態には自信があった。馬もやる気満々。鞍を置くときから目玉が飛び出しそうなくらいに気合いが乗って、いい競馬ができそうな予感がしていた」

 レース直後、香港マイルに駆け込みで申し込みを済ませた。飛行機での輸送を経て、不慣れな環境で体を減らしながらも、世界のトップクラスを相手に4着(0秒21差)と健闘する。

 6歳シーズンは精彩を欠いたものの、トップクラスを相手に7戦を消化。ラストランとなった兵庫ゴールドトロフィー(4着)では、不慣れなダートにもかかわらず、後方から脚を伸ばしている。

 レックススタッドで種牡馬入り。日本では目立った産駒を送り出せなかったが、生まれ故郷であるニューヨーク州のエディションファームよりオファーを受け、同牧場が所有するロックリッジスタッドで供用された。2023年に種牡馬を引退。功労馬として余生を送っている。いつまでも幸せにと願わずにいられない。