サアカスの馬たち
~グレードレース メモランダム~
エーシンビートロン
【2014年 サマーチャンピオン】キャリアを積みながら本格化した愛すべきファイター
2008年10月の京都(芝1800m)にて、「伝説の新馬」として語り継がれることとなる一戦が行われた。アンライバルド(皐月賞)が勝ち、リーチザクラウン(重賞2勝)、ブエナビスタ(ジャパンCなどGⅠを6勝)、スリーロールス(菊花賞)が続いてゴール。豪華メンバーを従えてハナに立ち、5着を確保したのがエーシンビートロンだった。同期たちからずいぶん遅れを取ったとはいえ、のちに同馬も重賞の栄光を手にしている。
「幸運な出会い。栄進牧場で初めて見たときも、筋肉質の好馬体に惹かれたね。他の調教師さんも来場しているなか、2頭を同じタイミングで選ばせてもらい、もう1頭がエイシンタイガー(5勝、CBC賞2着)だったんだ」
と、西園正都調教師は懐かしそうに振り返る。
11年連続でリーディング3位以内を堅持し、日本競馬に活力を与え続けたブライアンズタイムの産駒。母ローレンシア(その父ホリスキー)は短距離で4勝をマークした。同馬の姉弟にトーセンフーガ(2勝)、ドンビザッツウェイ(2勝)、ノーブルヴィーナス(3勝)らがいる。
「普段は穏やかでかわいいのに、いざとなると気持ちが切り替わり、テンから行く気が満々。でも、立派なボディーに反し、両前の管骨が細いから、硬い芝では反動が大きかった。ダートに目を向け、持ち前のスピードを生かせるようになったよ」
4戦目(阪神のダート1400m)で初勝利。昇級後の4戦とも僅差でゴールする。だが、当時もずっとソエに悩まされていた。7か月間のリフレッシュを挟み、中京のダート1700mで2勝目。さらに2着を2回続けたところで、骨折を発症してしまう。
「あのレース(ラジオ福島賞)は運命の分かれ目だったと思う。栗東へ戻ってから手当てをする方向だったが、頼み込んでギプスを巻いてもらった。到着後に詳しく検査をすると、体重のかかりやすい部分に亀裂が確認され、そのまま長時間の輸送を行っていたら、深刻な状況まで悪化した可能性が高いとのこと。以降も同じ箇所を4回、骨折しているが、程度は軽いもの。馬も決してめげなかったし、キャリアを積みながら患部が固まり、ようやく使い込めるようになったんだ」
5歳9月の阪神(ダート1400m)を勝ち上がり、11月には1000万下(東京のダート1600m)を卒業。度重なるブランクに阻まれ、準オープンでの勝利は8歳2月の河原町Sまで待たなければならなかったが、コーラルSより3戦連続して3着に踏み止まる。
2番手からあっさり抜け出し、天保山Sで初のオープン勝ちを果たす。勢いに乗ってサマーチャンピオンに向かうと、鮮やかな逃げ切りが決まった。後続に5馬身差を付ける楽勝だった。
「まずは無事に走ってほしいと願っていたが、馬は若いままだし、やっと本格化した実感があった。当たりが柔らかい幸四郎くん(武騎手)だと、スムーズに運べるしね。それにしても、8歳にして重賞ウイナーまで登り詰めるなんて」
早々とまくられながら、オーバルスプリントも2着に食い下がる。9歳になっても燃え盛る闘志は衰えず、エニフSを渋太く制するなど、息長く存在感を示した。通算41戦を戦い抜いて8勝、2着が11回。トレーナーも、こう健闘を称える。
「多くのファンに勇気を与えたと思う。ほんと頭が下がる。あんな個性とは、もう巡り会えないよ。愛すべきファイターだった」