サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

エーシンウェズン

【2013年 サマーチャンピオン】夏の夜空を照らす輝かしき恒星

 09年3月にコールダー競馬場で開催されたファシグティプトン社の2歳トレーニングセールに上場され、公開調教では2ハロン21秒4のタイムをマークしたエーシンウェズン。42・5万ドルの値を付けた高級外車である。

 父トリッピはエンドスウィープの後継であり、G1のヴォスバーグSなどに優勝した。母エクストラエンブレム(その父アワエンブレム)は米2勝。祖母の全弟ボーナポーもヴォスバーグSを制している。

 2歳の8月には栗東へ移動。自ら跨った野中賢二調教師は、即座に非凡な才能を感じ取ったという。
「栄進牧場久世育成センターで調整されていたとき、ひと足早く福永祐一騎手(現調教師)が騎乗していて、『すごく反応がいい』と伝えてくれた。確かに、やればいくらでも動きそうな手応え。でも、能力に体が付いてこない状況だったよ。慎重な仕上げが求められた。気性も若く、スイッチの入り方が極端。新馬戦(9月の阪神、芝1600mを2着)だって、逃げていたら勝てただろうが、それでは先につながらない。引っかからないように配慮した結果だった」

 レース後は筋肉痛に悩まされ、立ち直りに時間がかかった。2か月の間隔を開け、京都の芝1600mで初勝利。だが、懸命のケアも実らず、ラジオNIKKEI杯2歳S(7着)以降の5戦は、あと一歩で勝利に届かない。半年間の休養に入る。

 3歳11月の京都ではダート1400mを試し、あっさり2勝目を挙げた。12月の阪神(ダート1400mを3着)、八女特別(8着)と戦い、再度のリフレッシュへ。

「弱さが残る蹄のことを考えてダートに目を向けたけど、復帰緒戦にしても躓き、落馬寸前になる危うさ。前方に重心が片寄り、どうも走りのバランスが悪い。まだ無理できなかった」

 これまでのイメージを覆す鋭い決め手を発揮した阪神の芝1400m(2着)。中身が伴ってきたのは明かで、四国新聞杯を順当に差し切った。フリーウェイS(9着)は重馬場に泣いたものの、朱雀S(2着)で巻き返し。入念にゲート練習を繰り返していても、湘南S(9着)以降は出遅れに泣かされ、1000万に降級しても4戦を惜敗。しかし、久々に目を向けたダート(阪神の1400m)で一変し、3馬身差の圧勝。続く鳴門Sも危なげなく連勝を飾る。

「トレーニングセール出身とはいえ、決して早熟ではない。依然として攻め切れているわけではなかったし、骨格を考えれば、もっと筋肉が備わっていいくらいだった。そんなかでも着々とパワーアップ。砂戦線の重賞でも通用する手応えを感じ始めていたね」

 オアシスS(6着)で軽い骨折に見舞われながら、6か月ぶりの霜月Sを楽々と抜け出す。カペラSも2着に健闘。不向きな展開に阻まれ、根岸S(5着)、フェブラリーS(13着)、プロキオンS(11着)と足踏みしたが、かつて苦手としていた暑い季節に差しかかっても、状態はますますアップしていく。そして、サマーチャンピオンに優勝。末脚で勝負する個性だけに、地方の小回りへの対応が課題だったが、向正面で一気に進出して後続を完封した。

「だいぶ競馬を覚え、柔軟な立ち回りができたのは収穫。身体の充実とともに、精神面も大人になった。6歳になったとはいっても、伸びる余地はたっぷり残されていたよ」

 オーバルS(4着)を走り終えると、半年間は充電。すばるSで戦列に復帰する。ところが、右前に重度の骨折を発症して競走中止。道半ばでこの世を去ってしまった。

 陣営の深い愛情に包まれ、懸命に30戦を戦い抜いた同馬。あまりに悲しい最期ではあったが、ウェズン(冬の星として知られるおおいぬ座の恒星)との名に反し、真夏に放った閃光は、いまだ鮮やかなまま。後輩たちの道しるべとなり、未来の栄光へと導くに違いない。