サアカスの馬たち
~グレードレース メモランダム~
エリモハリアー
【2007年 函館記念】函館のターフに刻まれたドラマチックなトリロジー
育成時代より荒々しい気性の持ち主であり、2歳10月に栗東へ移動した時点でセン馬となっていたエリモハリアー。父は多大な期待を寄せられながら、なかなか活躍馬を送り出せなかったジェネラス。母エリモハスラー(その父ブレイヴェストローマン)も未勝利に終わった。それでも、同馬の叔父母にパッシングサイアー(菊花賞2着)、パッシングパワー(金鯱賞)、エリモシューテング(エリモシックやエリモピクシーの母)、エリモフローレンス(エリモダンディーの母)がいて、一発長打を秘めた血筋だった。
不器用さに泣かされ、未勝利を脱出するのに8戦を要した努力型。3歳の夏、札幌(芝1800m)での初勝利時も7番人気に甘んじていた。田所秀孝厩舎にとって、出世頭となったのが同馬。ただし、トレーナーは歯がゆい歩みをこう振り返る。
「フットワークが硬いタイプ。寒い時季は角馬場でのウォーミングアップに時間をかけても、どうしても身体がほぐれない。夏シーズンに良績が集中しているのも、それが理由なんです」
続く500万下(札幌の芝2000m)で3着した後、10月の福島(芝1800m)は豪快な差し切り勝ち。だが、以降は調子を落とし、9連敗を喫した。
4歳6月になり、ミホノブルボンメモリアルに勝利。すっかり成績が安定し、日高特別、北野特別と順当に勝ち上がり、福島記念(9着)にも駒を進めた。苦手な冬場を休養に充て、5歳時も気温の上昇とともに調子を上げていく。そして、初めて函館の地を踏むこととなった。
「格上挑戦にもかかわらず、巴賞で後方一気を決めてしまった。鮮やかな勝ち方にびっくりさせられましたよ。あれで勢いが付きました」
函館記念でも、6番人気の低評価を覆す驚きのパフォーマンスを演じた。3番手のインでじっと脚をため、メンバー中で最速の上り(3ハロン35秒)を駆使。これまでは右にもたれる傾向があったのだが、真一文字にゴールへと突き進み、2着にコンマ3秒の差を付ける完勝だった。
「当時はまだ半信半疑な部分も多かったですからね。想像を超えた強さに驚くしかなかった。パワーが求められる函館の洋芝ならば、エンジンのかかりが遅くて、勝負どころで置かれる特徴があっても、終いの爆発力をフルに生かせるんです」
札幌記念は6着に敗れたものの、朝日チャレンジCでクビ差の2着に健闘。京阪杯(6着)を走り終え、6か月のリフレッシュを挟んだ。翌年は金鯱賞(3着)、巴賞(クビ差の2着)と調子を上げ、再び函館記念へ。ファンも前年の強さを覚えていた。堂々の1番人気に推される。
前半は馬任せに中団に控えていたが、向正面からポジションを上げていく。直線であっさり馬群を割った。タイムは2分5秒1。極端に時計がかかる馬場状態のなか、底力の違いを見せ付けた。
ところが、札幌記念(5着)で右前脚に屈腱炎を発症する誤算があった。年明けには放牧先のエクセルマネジメント厚真トレセンで乗り込みを開始できたものの、7歳5月の帰厩後も気が抜けない日々が続く。中間に捻挫するアクシデントにも見舞われ、巴賞は11着に沈む。
そんな苦境のなかでも、陣営は懸命に立て直しを図る。水曜の最終追い切りでもぴりっとしなかったが、調子のバロメーターといえる身のこなしは、だいぶ柔らかくなった。闘志を呼び戻すべく、さらに前日追いを敢行する。
3度目の函館記念はスローペース。終始、手応え良く進み、4コーナーで先行集団を射程に入れた。追い出されると、前2年と同様、躍動的なフットワークを繰り出し、鮮やかに突き抜ける。陣営の執念が実り、JRA史上3頭目となる3年連続の同一重賞制覇が成し遂げられた。
その後はトップに踊り出ることがなかったとはいえ、10歳までタフに走り続けたエリモハリアー。ラストランも函館記念(13着)だった。随所にドラマが散りばめられた波乱万丈の競走生活である。
「全63戦、鮮明に覚えています。付き合いが長かったぶん、愛着は格別。生涯、忘れられない一頭ですね。引退後は、函館競馬場の乗馬に。会いに行くのが楽しみでなりませんでした」
と、田所調教師は健闘を称える。2018年の函館開催で誘導馬を引退。同年の12月に天国へ旅立ったが、いまでも函館のターフには3部作の感動的な蹄跡がくっきりと刻まれている。