サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

エイシンアポロン

【2011年 マイルチャンピオンシップ】頂上への道を真っ赤な太陽に照らされて

 2歳夏の小倉(芝1800mを5着)でデビューし、2戦目の同条件を勝ち上がったエイシンアポロン。野路菊S(5着)を経て、デイリー杯2歳Sに臨むと2着に健闘した。いかにも心身が粗削りだったのにもかかわらず、京王杯2歳Sに優勝。朝日杯FSでも2着してトップクラスの実力を示す。

 翌春は弥生賞を2着。皐月賞は11着、NHKマイルCを9着と、3歳で挑んだG1では厚い壁に跳ね返されたといっても、秋緒戦の毎日王冠でも2着している。天皇賞・秋(17着)は、直線で致命的な不利を受けたもの。その後は筋肉痛に泣かされ、結局、1年近くレースから遠ざかった。

 レースを重ねながら強靭さを増した〝アイアン・ホース〟、ジャイアンツコーズウェイが父。アイルランドのG2・デビュタントSを勝ったシルクアンドスカーレット(その父サドラーズウェルズ)が母であり、同馬の弟妹にマスターオブハウンズ(ドバイG1・ジェベルハッタ)、マイノレット(米G1・ベルモントオークス招待S)がいる。

「もともとオーナーの期待が大きな馬。手元に来る前からずっと注目していた。転厩というかたちで引き受けてほしいと打診されたのは4歳の夏前だったね。責任が重すぎると思い、いったんは辞退したのに、それでもぜひとのこと。岡山の栄進牧場でしっかりケアされ、痛いところがなくなり、長期のブランクも成長につながった。復帰に向けては2か月間、手元でじっくり乗り込んだが、想像以上に落ち着きがあり、調整に苦労はなかったよ。素直に併せ馬ができ、かかることもない。しかも、やればいくらでもタイムが出そうな手応え。思いどおりに動かせるんだ。競馬へいっても、注文が付かないのが頼もしかった」
 と、松永昌博調教師は幸運な巡り会いを振り返る。

 スローペースを好位で折り合い、毎日王冠はコンマ1秒差の4着。使われた上積みは大きかった。陣営は迷わず、中1週で富士Sに向かうことを決断する。不良馬場のなか、前半はゆったりした流れの後方に位置していたが、直線は大外に持ち出して進撃を開始。メンバー中で最速の上がり(3ハロン34秒8)を駆使し、みごとに復活の勝利を飾った。

 厚い雲に覆われたコースに、アポロン(太陽神)が放った輝きは、一際、強烈なものだった。続くマイルCSまでまっすぐに届くこととなる。先行集団を見るかたちで脚をため、追い出しのタイミングを待った。ロスなくインを立ち回り、きっちりと差し切りを決める。

「一段と状態がアップし、好勝負に持ち込める自信はあった。ただ、そう簡単に勝てる舞台ではないからね。いい枠順を引き、好スタートが決まり、位置取りやペースにも恵まれた。それに、渋った馬場をこなせるパワーも持ち味。前日の雨にも助けられたよ。すべてがかみ合ったことに驚きながら、ゴール前はひたすらがんばれと祈っていたなぁ」

 馬だけでなく、トレーナーにとっても初体験となるJRAのG1制覇。騎手時代にはトーヨーシアトルに騎乗し、東京大賞典を制した名手であっても、ナイスネイチャ(有馬記念を3年連続して3着)など、あと一歩で届かなかった勲章である。その喜びは格別なものがあった。

 次のターゲットは、はるかかなたのドバイデューティフリーに定められた。だが、ステップに予定していた中山記念の直前、背中の筋肉に痛みを訴えるようになり、プランは白紙に。懸命に立て直され、マイラーズCに臨んだが、14着に終わる。いったん狂った歯車は再び噛み合うことはなく、安田記念(15着)、毎日王冠(12着)、スワンS(14着)、マイルCS(14着)と歩み、スタリオン入りすることとなった。

 優秀な勝ち上がり率を誇りながら、大物を送り出せず、7シーズンの供用を終えて種牡馬を引退。現在は功労馬として静かに暮らしている。至福のタイミングは短かったものの、いつまでも語り継ぎたい魅力的なチャンピオンホースだった。