サアカスの馬たち
~グレードレース メモランダム~
エアスピネル
【2017年 富士ステークス】昇竜の勢いでスター街道を駆け登った名牝の忘れ形見
2歳7月に栗東へ移動し、丁寧に仕上げられたエアスピネル。9月の新馬(阪神の芝1600m)に臨むと、いきなり卓越したセンスを発揮した。パドックでは馬っけを出す幼さを見せたものの、すっと流れに乗れ、ぎりぎりまで追い出しを我慢。一気に2馬身の差を広げる。笹田和秀調教師は、こう安堵の笑みを浮かべた。
「繁殖としてこれからと思っていた母が、12歳で急逝したのは残念でしたが、ちょうど1年後の命日にデビュー勝ち。偶然ではあっても、不思議な巡り合わせです。さすがG1ウイナーの忘れ形見。想像以上の強さでしたよ。道中は上手に折り合え、最後まで集中力が途切れなかった。やはり決め手が違いますね。毛色は異なりますし、姿かたちも似ていないとはいえ、大きなタイトルを狙える要素を受け継いでいました」
同馬は、伊藤雄二厩舎の調教助手を務めていた当時、トレーナーが深い愛情を注いだエアメサイア(その父サンデーサイレンス)の産駒である。秋華賞、ローズSに優勝しただけでなく、オークスやヴィクトリアマイルでも2着した天才ランナーだった。
「エアワンピース(4勝、エアロロノアの母)ら、手がけた3頭の姉兄は気難しく、なかなか走るほうに向かなかった。この仔も、こじらせたら手に負えない心配があったんです。エアメサイアも荒々しい性格でしたからね。でも、激しい部分のコントロールが利き、終いに闘争心を結集できるあたりは母と共通していましたよ」
配された父は、2年連続してチャンピオンサイアーに輝き、ディープインパクトの登場後も勝ち鞍を伸ばし続けたキングカメハメハ。同馬の全弟にあたるエアウィンザーもチャレンジCを制したように、相性がいいマッチングだった。
「キンカメらしく、ちょっと硬めに映る歩様。それなのに、乗れば柔らかく全身を使え、ストライドが伸びます。社台ファームや山元トレセンでの調整時は、左前の爪に裂蹄を発症したり、弱さも抱えていましたが、もともと動きはすばらしかった」
偉大な母の後を追い、昇竜の勢いでスター街道を駆け登ったスピネル(タイの伝説に登場する竜のかたちをした馬)。デイリー杯2歳Sに臨むと、楽々と突き抜け、後続を3馬身半も置き去りにした。朝日杯FSは、リオンディーズの末脚に屈し、2着だったものの、3着のシャドウアプローチとは4馬身差。さらに夢がふくらむ内容だった。
弥生賞は、あと一歩の3着。不利が響き、皐月賞も4着に終わる。いったん先頭に立ちながら、ダービーを4着。神戸新聞杯(5着)、菊花賞(3着)と、長距離でも健闘を重ねた。
マイルに路線を変えて詰めの甘さが改善。京都金杯をハナ差で凌ぎ、久々にタイトル奪取がかなう。だが、東京新聞杯(3着)、マイラーズC(2着)、安田記念(5着)、札幌記念(5着)も勝ち切れなかった。
輝きを取り戻したのが富士S。タフな不良馬場となったが、内目をするすると進出する。早め先頭から、懸命に脚を伸ばすイスラボニータを完封し、2馬身を差を保ってゴール。「スタートが良く、道悪も苦にせず、終わってみれば完勝。どんな距離でも崩れないけど、やはりマイルがベスト」と、武豊騎手も晴れやかな表情で能力を称えた。
最後の最後にハナ差だけ交され、マイルCSを2着。ところが、5歳時もマイラーズC(3着)、富士S(4着)など、惜敗続き。レースの反動を受けやすくなり、マイルCS(10着)を経て8か月のブランク。函館記念(13着)を経て、1年間の休養を強いられた。
しかし、旺盛な闘志は衰えなかった。初ダートとなったプロキオンSを2着したのを皮切りに、武蔵野S(3着)、フェブラリーS(2着)、さきたま杯(2着)、武蔵野S(2着)、かしわ記念(5着)、さきたま杯(4着)をはじめ、9歳まで息長く好走を重ねた。
G1に手が届かなかったとはいえ、忘れえぬ名脇役だったエアスピネル。乗馬となり、静かに余生を過ごしているが、いつまでも幸せにとエールを送りたい。