サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

ウオッカ

【2008年天皇賞・秋】東京のターフを愛した豪快な淑女

 天皇賞・秋は、数々の激闘が繰り広げられた伝統の一戦。そのなかでも、ウオッカが優勝した2008年の戦いは、いつまでも語り継がれる名勝負となった。レジェンドレースのヒロインについて、改めて足跡を振り返ってみたい。

 生まれ育った地は、タニノムーティエ、タニノチカラ、タニノハローモアらを輩出した名門のカントリー牧場。母タニノシスター(その父ルション)は短距離戦で5勝をマークしている。ブライアンズタイムの代表的な後継であり、ダービーを制したタニノギムレットが父。カクテルのギムレットより強くなってほしいとの希望を託され、アルコール度数が高いことで知られる〝ウオッカ〟と名付けられた。あえて冠名はなし。ストレートに強烈な味わいが表現されている。ファーストクロップから登場した最高傑作だった。

 2歳6月、栗東に入厩した当時より、血統のイメージに反した伸びやかなストライドが目を引いた。いったん函館へ移動したものの、熱発したため、放牧を挟んで態勢を整え直す。10月の京都、芝1600mでデヒュー。楽々と逃げ切り勝ちを決めた。続く黄菊賞は出遅れが響き、2着に終わったが、阪神ジュベナイルフィリーズに駒を進めると、好位から豪快に伸び、きっちりと差し切る。3戦目にして世代の女王に君臨した。

 翌春の1冠目を手中にしたらダービーへ挑戦させようと、陣営の意志は固まっていた。エルフィンS、チューリップ賞と順当に勝利を重ね、桜花賞も1・4倍の断然人気に推される。しかし、ここでは先に抜け出したダイワスカーレットを捕らえ切れず、1馬身半差の2着。この敗戦によってオークスへの路線変更が濃厚と思われたのだが、オーナーから判断を委ねられた角居勝彦調教師は、大胆に初心貫徹を進言した。そして、常識では通用しない壁に挑み、みごとに打ち破ってしまう。

 宝塚記念は折り合えずに8着。凱旋門賞に出走する計画も、右トモの蹄球炎に配慮して断念される。秋華賞を3着。エリザベス女王杯は後肢の送りに違和感があったために出走取り消しと、苦難の時期を過ごす。ジャパンC(4着)、有馬記念(11着)、京都記念(6着)と、不完全燃焼が続いた。

 ドバイデューティーフリー(4着)で海外に初挑戦。得意の東京に照準を定め、ヴィクトリアマイルを2着した後、安田記念を制した。復調を印象付ける3馬身半差の圧勝だった。4歳秋は毎日王冠(2着)から始動。天皇賞・秋で中距離でも古馬チャンピオンの座を狙った。

 待ち構えていたのは秋華賞、エリザベス女王杯と手中に収め、後に有馬記念にも勝つダイワスカーレット(単勝3・6倍)。さらに同年のNHKマイルC、ダービーと変則2冠を達成したディープスカイ(単勝4・1倍)も参戦した。それでもファンは1番人気(単勝2・7倍)に推す。

 逃げを打ったダイワスカーレットが平均ペースを刻むなか、縦長となる隊列の中団で折り合いを付けた。直線はディープスカイの外に併せ、追い出しを我慢。ゴーサインに鋭く反応し、坂を上ってぐいぐい先頭に迫ったが、ダイワスカーレットも懸命にもうひと伸びする。まったく並んだままでゴール。長い写真判定の結果、2センチ差だけ先着していた。勝ちタイムは従来のレコードをコンマ8秒も更新。強力なライバルがいたからこそ、同馬の能力もフルに引き出されたといえる。

「馬を止めるとき、安藤勝己騎手に『どうですか』って訊いたら、『いやぁ、わからない』との返事でした。だからウイニングランもできなかったんです。勝ったような気もしつつ、検量室前に帰ったら、1着のところにダイワスカーレットがいて、ちょっとショックでしたし、なかなか着順は出ず、生きた心地がしなかったですよ。でも、たとえ負けたとしても、すばらしいレース。同着でも良かった。最後はウオッカに助けられましたね」
 と、鳴りやまない大歓声を受け、武豊騎手は安堵の笑みを浮かべた。

 JCでも3着に健闘すると、再びドバイへ。ジェベルハッタ(5着)、ドバイデューティフリー(7着)と結果は残せなかったが、ヴィクトリアマイルを7馬身差のワンサイド勝ち。安田記念も連覇する。毎日王冠(2着)や天皇賞・秋(2着)は期待を裏切ったとはいえ、JCで鮮やかに復活を遂げた。これが7つ目となるG1の勲章である。

 記録にも記憶にも残る名牝であり、目的を果たすたびにより高いハードルを越えようと勇敢に戦ったウオッカだったが、マクトゥームチャレンジラウンド3(8着)で二度目の鼻出血を発症。直接、アイルランドに渡り、繁殖入りした。

 2019年、骨折の療養中に蹄葉炎を発症し、この世を去ったウオッカ。自身の域に迫るトップホースを送り出せなかったものの、タニノアーバンシー(4勝)やタニノミッション(1勝)らが母となり、タニノフランケル(4勝、小倉大賞典2着)は種牡馬となった。卓越した才能を受け継いだ新星の登場を待ちたい。