サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

ウエスタンダンサー

【2008年 京阪杯】懸命に駆け抜けたトップダンサーへの道

 スピードヒーロー(日経新春杯)、アクティブバイオ(日経賞、アルゼンチン共和国杯)、セカンドテーブル(年京王杯2歳S)ら、数々の個性派を育てた崎山博樹調教師。手塩にかけたタイトルホルダーのなかでも、「特別な愛着がある」と話していたのがウエスタンダンサーだった。

「まさかオープンまで出世するなんて、とても想像できなかった。もともと歩様が硬く、競走馬になることさえ危ぶまれた時期もあったくらいだったから」

 2歳秋に入厩したものの、トウ骨の骨膜が影響し、フットワークはぎこちない。なかなか改善されず、いったん放牧へ。本格的な調教を開始したのは、翌年の3月になってからだった。

「時間的な余裕もなくなり、ある程度は目をつぶって調整を進めることにした。すぐに躓きそうになるなか、内田くん(浩一元騎手)も熱心に稽古を付けてくれてね。なんとかデビューにこぎつけた。当時も好時計をマークしていたが、無事に走ってくれることだけを願っていたよ」

 エクリプス賞最優秀2歳牡馬を受賞したデヒアが父。日本ではケイアイガード(ラジオたんぱ賞)に続く貴重な重賞ウイナーである。ただし、はっきりした傾向を伝える種牡馬であり、JRAでの勝利数のうち、約7割はダートで挙げたものだ。母ウエスタンローズ(その父オペラハウス)は未出走。同馬の半兄にあたるウエスタンスナイプ(地方16勝)をはじめ、地方競馬での活躍が目立つ一族である。

 同馬も6戦続けてダートを走った。天性のダッシュ力とスピードで、2戦目の未勝利(新潟のダート1200m)、500万(中京のダート1000m)と連勝したが、その後は壁に突き当たる。

「反動を考えたら、当初は芝を使おうなんて考えたこともなかった。だが、昇級後の3戦はいずれも二桁着順。限界を感じたし、馬場が柔らかくなったら、一度、試してみる価値はあると思って」

 雨予報に後押しされ、3歳の暮れには中山のハッピーエンドC(やや重、芝1200)へ。コンマ2秒差の4着と見せ場をつくる。続く小倉での2戦(4着、3着と健闘)も、不良馬場だからこその参戦だった。

 降級後は手堅くダート(小倉のダート1000m)で3勝目をマークすると、再び芝へと目を向ける。スタッフの丹念なケアにも助けられ、めきめき充実。もともと立派な骨格の持ち主だったが、それにふさわしい筋肉が備わってきた。

「スムーズな身のこなしになって、まるで別馬のよう。天気など気にせず、コンスタントにレースへと送り出せるようになった。体質自体は丈夫で、飼い葉をもりもり食べてくれる。イレ込むこともないのが心強かったね」

 速いタイムにも楽々と対応し、仲秋特別、桂川Sと一気に連勝。京洛Sでも半馬身差の2着に食い込む。かつては逃げないともろかったのに、経験を積みながらレース運びにも幅を増し、好位から堅実に伸びるようになった。

 そして、生涯最高のパフォーマンスへ。京阪杯では抜群のスタートが決まったが、無理せずにインで待機。コースロスなく直線に向くと、外に持ち出してあっさり先行勢を捕える。ラストは33秒3の鋭さだった。直線勝負にかけたファリダットに3/4馬身差。まったくの完勝といえた。

 ところが、重賞の栄光と引き替えに、すっかり心と体のバランスを崩してしまう。5歳以降は13連敗。骨折などのトラブルもあったものの、前向きな精神状態を失ってしまい、自らやめてしまうようになった。7歳の阪神牝馬S(14着)がラストラン。生まれ故郷の北西牧場で繁殖入りした。産駒はコンスタントに活躍。高齢になったとはいえ、新たなスターの誕生を楽しみに待ちたい。