サアカスの馬たち
~グレードレース メモランダム~
オースミイチバン
【2013年 ダイオライト記念】遥か彼方のゴールへと信じる気持ちを守り通して
23年間に亘る騎手生活に別れを告げ、庄野靖志厩舎の調教助手として新たなスタートを切った川島信二騎手。JRA通算341勝をマークしたが、燦然と輝くのがオースミハルカとともに勝ち取ったクイーンS2回、府中牝馬Sのタイトルである。エリザベス昭王杯では同馬を2年連続して2着に導き、場内を沸かせた。
「JRAの最終騎乗日には、ハルカのラストクロップであるナリタマフディーに騎乗。母を思い出して、じんときましたね。このファミリーには感謝の気持ちで一杯。サラブレッドの奥深さを教えられました」
と、感慨深げに話す。
オースミハルカの母ホッコーオウカ(その父リンドシェーバー)は、競走時代に未勝利に終わったものの、高齢になっても息長く存在感を示し、オースミエルスト(小倉2歳Sを2着)、オースミグラスワン(新潟大賞典を2回)、ローデッド(フェアリーS2着)などを輩出。未来に向け、枝葉はどんどん広がっている。
川島騎手と同様、安藤正敏厩舎の所属時代より、一族に跨り続けてきたのが佐藤淳調教助手(荒川義之厩舎)。この血筋について、こう特徴を解説してくれる。
「みな個性が違いますが、共通するのは頭がいいこと。ただ、馬込みを嫌ったグラスワンもそうでしたが、余計なことも覚えてしまうんです。そんななか、ハルカは断然のベストホースですし、背中の感触が忘れられません」
オースミハルカ(その父フサイチコンコルド)の産駒も、続々と勝ち上がっているが、その代表格がオースミイチバン。内国産として51年ぶりとなるリーディングサイアーを獲得し、サンデーサイレンスの血をきらびやかに発展させたアグネスタキオンが父である。
「入厩時より背中が良く、動きも感じさせるものがありました。でも、ハルカの仔たちも祖母の血を受け継いでいて、やはりくせが強いんです。特にイチバンは、やる気がまったくなくて。ノド鳴りの兆候もあり、最初のうちは自ら力をセーブしていたのかもしれません。それにしても、常識では考えられないほどの急変。馬は決め付けられないと、つくづく実感しましたよ」
京都の芝1400mでデビューし、先頭から2秒8も離された10着。翌週の芝1800mは14着に終わる。放牧を挟んで笠松の交流、如月賞を5着したものの、続く阪神のダート1800mも8着。ところが、3月24日の同条件に臨むと、2着を2秒もちぎる圧勝劇を演じた。500万も楽々と4馬身差で卒業。兵庫チャンピオンシップでは早くも重賞ウイナーに輝く。
「母の主戦だった川島騎手に乗り替わったのがきっかけでした。『跨がれるだけでうれしい』と、はしゃいでいた鞍上の願いが伝わったとしか思えない。馬も自信を付けたのか、だんだん覇気が出てきて、他馬を威嚇するくらいに。ついに孝行息子が登場したと、3連勝時はしんみりと喜びを噛み締めました。ユニコーンS(2着)は、スタートでトモを落とす致命的な不利があったのですが、叔父のグラスワンが追い込んでくる姿が重なり、目頭が熱くなりましたね」
ジャパンダートダービーは4着。しかし、みやこS(13着)以降、懸命な姿勢に欠いて5連敗を喫した。そのなかでも、名古屋グランプリを3着、佐賀記念も4着だったように、地方主催のダートなら崩れなかった。
単勝45・9倍の低評価に甘んじたダイオライト記念だったが、2400mへの距離延長を味方に、初めてハナを主張する。1周目3コーナーからペースを落して脚を温存。早めにスパートすると、断然人気に推されたハタノヴァンクルールも押して迫ってきたが、なかなか差は詰まらない。最後は脚色が一杯になりながら、クビ差だけ凌いで栄光のゴールを駆け抜けた。
「常に前しか見なかったハルカ。ゲートが開けば一直線でした。そんな母らしさを垣間見ました。それは感激しましたよ。その後に馬も満足してしまったのか、全力を出し切った苦しさを忘れられなかったのか、もとのイチバンに逆戻りしたとはいえ、憎めない性格。ずいぶん悩みましたが、懐かしい思い出です」
7連敗を重ね、引退が決定。7歳になり、ホッカイドウ競馬で現役復帰を果たしたが、復活の勝利は挙げられなかった。ただし、意外性に富んだホームランの感触は、いまでも川島さん、佐藤さんの胸に焼き付いている。貴重な財産として、後輩たちの調教へと生かされていくに違いない。