サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

ヴィクトワールピサ

【2010年 有馬記念】ワールドクラスの破壊力を垣間見せた2つ目の頂

 東日本大震災が発生した2011年3月。ドバイワールドCに挑んだヴィクトワールピサが、日本馬初となる優勝を飾った。

「信じられない。ペースが落ち着いたので、早めにトップを取りにいったんだ。直線がすごく長く感じた。ジャパンCやイタリアのダービーも勝ったけど、もちろん、この一戦がベストレースだよ」
 と、ミルコ・デムーロ騎手は声を弾ませる。

 管理した角居勝彦調教師は、惜しまれつつ勇退するまでJRA重賞を82勝という偉大な足跡を残しているが、生涯忘れ得ぬ勲章である。普段は冷静なトレーナーも、目に涙を浮かべながら話した。

「向正面でまとめて交わしてしまい、はらはらしましたね。なんとか残ってくれと祈り、絶叫して応援しましたよ。悲しみに包まれた日本へ、明るいニュースを届けることができて本当に良かった」

 底力に富み、一発長打が魅力のネオユニヴァースが父。ファーストクロップにあたるひと世代年長より、皐月賞馬となるアンライバルド、ダービーウイナーのロジユニヴァースを輩出していた。母ホワイトウォーターアフェア(その父マキアヴェリアン)は、仏G2・ポモーヌ賞など重賞を2勝。英G1のヨークシャーオークスでも2着した。同馬の半兄にアサクサデンエン(安田記念)やスウィフトカレント(小倉記念)がいる。

 若駒当時について、角居調教師はこう振り返る。
「数多くの素質馬が育成される社台ファームでも、トップクラスとの評価を受けていましたよ。ひとつひとつのステップを順調にクリア。兄のトーセンモナーク(4勝、地方2勝)も管理しましたが、早い時期に動き出す血統ではありません。ところが、馬格が雄大でありながらも全身を無駄なく使え、手元に来た時点でも軽さが際立っていたんです」

 10月の京都の芝1800mでデビュー。ローズキングダム(朝日杯FS、ジャパンC)の2着に終わったとはいえ、破格のスケールは十分に伝わってきた。

「4コーナーで外に振られる不運。能力の高さとともに、実戦でも上手に走れることが確認できました」

 その後は芝2000mに照準を定め、京都の未勝利を快勝すると、京都2歳Sもあっさり抜け出す。ラジオNIKKEI杯2歳Sでのパフォーマンスは圧巻だった。これまでとは違い、中団に控える戦法を取り、豪快な差し切りを演じる。

「大舞台になればなるほど、取りこぼす罠が潜んでいるもの。いろいろなパターンに対処できる幅を確認でき、価値ある勝利となりました」

 3歳の緒戦には弥生賞を選択。中団の馬群に入れて進出のタイミングをうかがっていたが、直線では進路がふさがってしまう。それでも、鞍上の武豊騎手にあせりはなかった。ステッキ一発で狭いスペースを割り、瞬時に突き抜ける。半馬身の差以上に強い内容だった。

「勝ち気な性格ですし、レース以外では自由な部分も与え、燃えすぎないように配慮。精神面を整えることや柔軟性を高めて故障させないことに専念したまでです。馬は実戦があるからこそ強くなっていく。いい経験を積んだことが、後のG1につながりました」

熾烈な2着争いを尻目に、皐月賞も1馬身半差の完勝。折り合いに専念したぶん、前半の位置取りは中団より後ろだったが、脚を温存しながらも、勝負どころでは無理なく射程圏に進出。終始、インにこだわったことが、決め脚を際立たせた。

 エイシンフラッシュの決め手に屈したダービー。それでも、上がりの速い決着となったなか、3着を確保する。秋にはフランスに旅立ち、ニエル賞(4着)、凱旋門賞(7着)と歩む。ワールドクラスの強豪が集い、慣れない馬場にも跳ね返された結果だったが、これも次のステップに向けて貴重な財産となる。

 ジャパンカップ(3着)を経て有馬記念へ。新たにコンビを組んだデムーロ騎手は、スムーズに4番手へと導いた。スローな流れを読み、2角すぎには先頭をうかがう。直線では楽な手応えで好位勢を突き放すと、ブエナビスタの強襲もぎりぎり振り切ってしまった。ハイレベルの世代にあって、JRA賞最優秀3歳牡馬に輝く。

「勝つにはあれしかないという騎乗。ジョッキーが研究した成果です。海外から帰国した当初はピリピリしていましたが、徐々に良化している手応えがあれました。かわいい子に旅をさせた甲斐があった。ジャパンCを使い、ぐっと落ち着きを増しましたしね」

 中山記念では、単勝1・4倍の支持にふさわしい強さを誇示する。前半は後方でじっくり構えていたが、勝負どころから大外をひとまくり、ラストまで脚色はまったく衰えず、後続に2馬身半。ドバイ遠征に夢がふくらむ圧勝劇だった。

 細心の注意を払っていても、万全の状態を維持するのが難しいのは馬の宿命。4歳秋も凱旋門賞を目指しながら、左トモに炎症を起こしてしまう。ジャパンC(13着)、有馬記念(8着)を走り終えて引退が決まった。

 3つの頂から構成されたヴィクトワールピサの伝説。そのなかでも、若きエネルギーが凝縮された3歳時のグランプリ制覇は、わずか2センチ差でつかんだ栄光ながらも、強烈なインパクトを残した。種牡馬入り後も、初年度産駒からジュエラー(桜花賞)を輩出。現在はトルコで繋養されているが、ワールドワイドに活躍する逸材の登場を願いたい。