サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

インティライミ

【2005年 京都新聞杯】真っ赤に燃える立夏の太陽神

 佐々木晶三調教師にとって、アンデスレディー(その父ノーザンテースト、1勝)は愛着が深い繁殖。オーバーザウォール(福島記念)を引き受けて以来、ステーブルの看板血統となった。さらにフォルクローレ(6勝、アルバートの母)、サンバレンティン(福島記念、七夕賞)、ナスカ(アロマティコの母)、フィッツロイ(3勝)など、産駒たちが活躍。そのなかでも、当歳の春に初対面した当時より、破格のスケールを感じ取っていたのがインティライミだった。

「父スペシャルウィークの良さが伝わり、伸びやかなスタイル。身のこなしも柔軟で俊敏やった。これはダービーへ行けるんじゃないかと直感。ただ、素質が高い反面、この一族にはどこかウイークポイントもある。ずいぶん歯がゆい思いもしたからね」
 と、トレーナーは懐かしそうに振り返る。

 当初より長めの距離での飛躍が期待されていたものの、育成は順調に進み、2歳7月には早くも栗東へ。翌月の小倉(芝1800m)でデビュー戦を迎えた。楽に抜け出し、3馬身半差の快勝。新潟2歳Sは出遅れが響き、6着に終わった。その後は挫跖による休養が長引き、半年のブランク。ゆきやなぎ賞でクビ差の2着すると、続く阪神の500万下(芝2500m)を5馬身差で制した。

「ぎりぎりのタイミングやったけど、晴れ舞台が視界に入ってきた。課題は燃えやすい気性。復帰戦はかかったのが敗因だったが、短期間で折り合い面の懸念をクリアしてくれたのが大きかったよ。京都新聞杯は、なんとしても落とせない。中間は緩めずに追い切りを重ねたが、馬はよく堪えてくれた」

 出脚が付かず、後方に控える意外なレース運びとなった京都新聞杯。息が入らない平均ペースで流れるなか、3コーナーより馬任せに進出を開始する。直線は早めに先頭。2着のコメディアデラルテが内から猛追したが、馬体が並ぶと闘争心に火が点く。懸命に脚を伸ばし、栄光のゴールへと飛び込んだ。

「テッちゃん(佐藤哲三騎手)が完全に手の内へ入れていたからね。馬が落ち着いたポジョンで急がせず、抑えずに追走できたのが良かった」

 大目標となるダービー(2着)では、稀代の名馬、ディープインパクトが待ち構えていた。生まれた世代が悪く、脇役に甘んじたとはいえ、同馬もまばゆい輝きを放った。

「あの馬のリズムを守れたよ。4コーナーすぎでインから抜け出し、後続を引き離すイメージ通りの乗り方。あと1ハロンで交わされたけど、例年のレベルなら楽に勝ててたはずや」

 秋シーズンは右前の爪が化膿するトラブルに泣き、7か月半ものブランク。一時は蹄葉炎になりかけ、競走生活の存続さえ危ぶまれた。年明けに2戦を消化したところで、背中に疲れがたまり、また半年間の休養を経る。

 4歳後半になると、走りのバランスが崩れ、ハミに頼る傾向が強くなる。中日新聞杯を2着するなど、確かな能力を垣間見せた一方、暴走気味に行きたがることもしばしば。それでも、熱心な立て直しが実り、5歳になって2度目のピークを迎える。金鯱賞を3着し、宝塚記念(7着)へも駒を進めた。大外を豪快に突き抜け、朝日チャレンジCで久々の勝利を収める。

 京都大賞典での強さも忘れられない。位置取りにこだわらず、中団のインで折り合いに専念。直線勝負に賭ける。進路が狭くなる不利を跳ね除け、外から鋭く差し切りを決めた。

「脚元の弱さを抱えながら、気持ちだけで走ってきたような馬やった。ずっと一線級とばかりと戦い、ようがんばってくれたよ」

 結局、これが最後の勝利となったが、6歳時の宝塚記念でも3着に食い込むなど、太陽神(インティライミとはペルーで開催される太陽の祭り)は闘志を燃やし続けた。8歳の小倉大賞典(11着)を走り終えたところで右前に浅屈腱炎を発症。乗馬に転身した。

 猛々しい魂は、以降も佐々木師の胸にしっかり刻み込まれ、念願のダービーを勝ち取ったキズナなどを後押し。次世代を担う後輩たちにも、きっと受け継がれていくに違いない。