サアカスの馬たち
~グレードレース メモランダム~
ドゥラメンテ
【2015年 日本ダービー】猛々しくも上品な生まれながらのトップランナー
高き理想を胸に、地道な努力を重ね、日本を代表する地位を固めている堀宣行厩舎。海外での7勝を含め、G1の通算勝利数は23勝(Jpn1を除く)に到達したが、初となるクラシックの栄光を運んだのがドゥラメンテだった。
1歳の春に初対面して以来、トレーナーも大きな希望を託していた。育成先のノーザンファーム早来を訪れるたび、順調な成長を感じ取っていたという。
「細身で上品。このファミリー(母アドマイヤグルーヴはエリザベス女王杯2回など重賞5勝、祖母が年度代表馬のエアグルーヴ)ならではのすばらしいバランスです。腰からトモにかけてゆったりできていて、それが卓越したバネの源になっている。キングカメハメハ産駒は、育っていく過程でラインが崩れるケースが多いとされ、つなぎの角度などへの配慮もポイントとなるのですが、ノウハウを蓄積している牧場サイドの対処によって、どんどん良さが際立ってきました」
2歳6月に美浦へ。もともと秋のデビューを目指していたが、トレセンの環境に慣れさせるためのワンステップだった。
「ゲート試験の合格まで2週間ほどの期間でしたが、破格のスケールが伝わってきましたね。あの時点でも『生まれながらのG1ホース』というのが、スタッフとの共通認識。ただし、急に立ち上がったり、通常のメニューをこなすのにも、かたちに当てはまらない自己主張の激しさがありましたから。人とうまくコミュニケーションが取れるよう、段階を踏みながら導いていきたかった」
北海道で心身を整え直し、9月に再入厩。翌月の東京(芝1800mを2着)で初戦を迎えた。ゲート内でじっとせずに出負け。行きたがるシーンもあったが、エンジンがかかってからは抜群の伸び脚を駆使している。
「調教は良いほうへ向かっていても、実戦でないと経験できない事項がたくさんあります。ジョッキーにもそれを理解してもらい、個性に沿って競馬を覚えさせたいなか、2戦目(東京の芝1800mを6馬身差で快勝)はターニングポイントとなりましたよ。好位でリズムに乗れたのに加え、ライアン・ムーア騎手はゴールまで集中するように教え込んでいた。ゲートの問題は持ち越しになりましたが」
発走調教再審査の制裁。出走後はきめ細かく状態を見極め、次の計画を練るのが同ステーブルのスタイルではあるが、ノーザンファームしがらきでリフレッシュされる前に、さらに2週間、在厩を続けている。
「特にこの馬の場合、内面の状況もきちんと把握しないと。体が戻った翌々週にゲート裏へ連れていったら、不安で目が泳ぎ、汗だくに。クラシックに向けて賞金を加算したいところではありましたが、根本的な改善を最優先させました」
身体の疲労は癒え、2月の東京で出走できるメドが立った。だが、難題のクリアに要する時間は不透明なまま。12月の帰厩後も、丁寧に準備を進めた。
「練習が休止となる年末年始に感情を静めたうえ、ゲートに縛りました。初日に抵抗して暴れましたが、以降はすんなり納得しましたね。これも、牧場での熱心な取り組みがあってのこと。感謝しています。再試験は実戦でも騎乗するジョッキーで受けなければなりません。調教から依頼した石橋脩騎手も、付きっきりで励んでくれました」
1か月ほど時間を割き、晴れて合格。セントポーリア賞に臨むと、後続に5馬身もの差を付けた。
「ダッシュは遅かったのですが、枠内で我慢が利きました。上手に折り合えたのも収穫です。ただ、8分の態勢で送り出すつもりだったのに、想像以上に仕上がっていて。共同通信杯への参戦も視野に入れて始動させたといっても、注意深く回復具合を探り、ゴーサインを出しましたよ。中1週の高いハードルで、もう一度、ゲートを確認したかったんです」
脚の使いどころが噛み合わず、半馬身差の2着に敗れたものの、上がり(3ハロン33秒7)はメンバー中で最速。着実な進歩も示していた。
「みなと一緒にスタートでき、前回と違って、4コーナーでぎこちなかったフォームも矯正されました。その反面、前半でかかってしまい、位置取りを悪くした点が新たな課題です。このローテーションを選択した以上、いいコンディションで使うには皐月賞に的を絞るしかない。ノーザンファームしがらきにて英気を養い、動きが一段と上向いてきました」
綿密に入厩のタイミングを打ち合せ、3月下旬になって美浦へ。精神面を重視しながらも、十分な負荷がかけられた。いよいよ一冠目に挑む。
「誤算だったのは、選挙カーのアナウンスが響いてきて、装鞍所で一気に高ぶり始めたことでしたね。メンコ(耳覆い)を着用させてきましたし、耳栓など、他に対策を考えていなかったのが反省材料です。パドックでもなかなか収まらず、スペイン常歩みたいな仕草で。そんなとき、追い切りにも跨り、特徴をつかんでいたミルコ・デムーロ騎手が適切に接してくれました。返し馬から工夫。待避所でも他馬と離れ、意志の疎通を図っていた姿が印象的でしたよ」
落ち着いてゲートイン。寄られてしまい、後方のポジションとなったのは想定外だったが、前に馬を置いて根気強く訓練した成果が表れる。道中はスムーズに追走。ところが、4コーナーでは大きく外へふくれてしまった。
「馬群の切れ目に持ち出そうとした際、回り切る前に手前を替えたのが原因。別にくせではなく、突発の出来事です。小回りコースや急坂への適性は未知でも、左手前のほうが断然、ストライドがいい。だから、直線で得意の手前となる右回りのほうが、むしろ適性があると見ていました」
コースロスも跳ね除け、ラスト33秒9という同レース史上でも空前の末脚が炸裂。あっさり勝負を決めた。
「まだまだ積み重ねが必要だと見ていたのに。驚くしかないですよ。桁違いのポテンシャルがあってこその勝利です」
そして、さらなる進化を遂げ、ダービーはレースレコードで快勝。多少は行きたがったが、中団をスムーズに追走でき、満を持して追い出されると楽な手応えで突き抜けた。
「皐月賞よりコンディショニングがうまくいった結果。暑くなり、輸送が堪える時季となりましたが、スムーズに到着し、競馬場の馬房でも落ち着いていました。装鞍所からパドックにかけても、前走と違って大人しかったですね。向正面で少しかかるところもありましたが、デムーロ騎手はよく考え、上手にコミュニケーションを取ってくれました。名前(ドゥラメンテは音楽用語で『荒々しく、はっきりと』の意味)と同様、荒々しいと言われ、スタッフともども恥ずかしい気持ちがあったのですが、落ち着いて競馬ができ、ようやく完成の域に達しましたよ」
休養に入ったところ、以前から骨膜を抱えていた両ヒザに遊離している軟骨が発見され、手術を行うことに。慎重に態勢を整え直し、翌年は中山記念より再スタートする。格の違いであっさり優勝。2着のアンビシャスがクビ差まで迫っているが、2キロ重い斤量を背負っていたことを考えれば、高く評価できる内容である。デムーロ騎手も、こう胸を張った。
「直前の追い切りに乗って、この馬のすばらしさを再認識していた。ほんと強いね。久しぶりのレースだっただけに、少しうるさかった。それに、ダービーの2400mを走った後で、1800mはちょっと短いかと思っていたんだ。でも、スタートが良かったし、いいポジション。直線に向いたときも楽な手応えだったが、早く先頭に立ったので、物見をしてしまって。少しはらはらしたけど、心配いらなかった。これから一緒に、いろんなタイトルを獲りたいね」
だが、ドバイ・シーマクラシックでは馬場入場時に右前を落鉄するアクシデント。打ち直さずに出走を強いられながら、懸命に2着を確保した。そして、結局、宝塚記念がラストラン。クビ差の2着したものの、入線後に下馬した。
「ゴールに入ってすぐ、(手前を替えた瞬間に)滑ってバランスを崩してしまった。直線は内にスペースがなく、外に持ち出したが、ずっと左手前で走っていたので、最後は勢いが止まった。疲れてしまったんだと思う。左前を痛めてしまったみたい」
と、デムーロ騎手は報道陣を振り切るように、言葉少なに話した。複数の靭帯や腱の損傷が認められ、競走能力喪失の診断。早すぎる引退が決まった。
2021年に逝去したのが残念でならないが、種牡馬としてもリーディングに君臨。タイトルホルダー、スターズオンアース、リバティアイランド、ドゥレッツァ、ルガルらを送り、すばらしい成績を収めた。偉大な足跡を称えるとともに、サイアーラインの発展を願いたい。