サアカスの馬たち
~グレードレース メモランダム~
インカンテーション
【2015年 平安ステークス】驚異の復活をもたらす神秘的な力
2歳7月、早くもデビュー戦を迎えたインカンテーション。ただし、中京の芝1400mは後方のまま、15着に敗退した。秋の京都も芝1200mを5着。芝1600mも8着と振るわない。当時の状況について、羽月友彦調教師はこう振り返る。
「もともと牧場(生産は谷川牧場)の自信作でした。母の仔はみなダートで活躍。2シーズン目の種牡馬(シニスターミニスター)が配されているとはいえ、産駒のデータも把握していましたよ。ただし、若駒のころは華奢なライン。入厩後も頼りなく、いかにもパワー不足に映ったんです」
母オリジナルスピン(その父マキアヴェリアン)はイギリスで2勝。同馬の兄姉にソルモンターレ(3勝)、ヒラボクビジン(4勝)がいる。妹弟にもスピナッチ(3勝)、サンティーニ(4勝)ら。曽祖母のタイムチャーターが英オークスなどG1を4勝した名牝である。
4戦目の阪神でダート1800mを試すと、砂巧者を量産している父らしく、あっさりと差し切った。8着、4着と前進し、昇級3戦目の沈丁花賞を勝利。伏竜S(4着)や御嶽特別(3着)でも見せ場をつくり、濃尾特別に完勝。精神面の幼さが薄れ、レース運びに安定味が加わってきた。
1番人気を背負い、レパードSへ。ここでも好位追走がかなったうえ、しっかりと脚をためられた。直線で先頭に躍り出ると、後続に2馬身半の差を広げ、悠々とゴールに飛び込んだ。
3歳秋も、みやこSを2着したが、本格化したのは4歳時だった。BSN賞、ラジオ日本賞、みやこSまで3連勝。翌冬は東海Sに3着したうえ、フェブラリーSも2着に健闘する。そして、平安Sを逃げ切り勝ち。後続にコンマ3秒差を付ける危なげない内容だった。トレーナーも、ようやく完成の域に達した手応えを得ていた。
「手がかからない優等生。調教は地味でも、真面目に走ってくれます。経験を積むごとに力を付け、ようやく秘めていた闘志が噛み合うようになりました」
ところが、レース中、左トモの球節に亀裂骨折を発症していたことが判明。8か月のブランクを経る。さらに一戦したのみで、骨盤に骨折線が確認された。今度は9か月半もレースから遠ざかった。
「しばらくレース感を取り戻せずにいましたが、復帰3戦目にはマーチSで一変。まさか勝ち切るなんて、正直、びっくりしましたよ。一番、充実するはずのタイミングを逃して悔やんでいたのに、こちらが勇気を与えられました」
7歳になって、驚異的なV字回復。かしわ記念も2着に食い下がる。白山大賞典を楽々と押し切ると、武蔵野Sに駒を進めた。好位で流れに乗り、コーナーでは無理せず2番手に上昇。早めに抜け出しても追い出しを待つ余裕があった。半馬身の差をキープして。6つ目のタイトル奪取がかなう。
「1800m以上だと、どこかで折り合いが怪しくなりますので、マイルはベストの条件。もう強さは本物です。衰えるどころか、すっかり体調が安定し、追い切りでも見違えるほど動けるようになりましたね。山あり谷ありの競走生活。懸命な姿に頭が下がります」
翌シーズンもフェブラリーS(3着)、かしわ記念(3着)、プロキオンS(2着)と善戦を重ねた。以降は状態が整わず、チャンピオンズC(13着)がラストランとなったが、青春期の輝きだけでなく、年齢の常識など打ち破り、神秘的な力を発揮したインカンテーション(呪文、呪術の意味)。コパノリッキー、サウンドトゥルー、アウォーディーがいるハイレベルな世代にあって、異彩を放つ実力派だった。