サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

アーバンストリート

【2009年 シルクロードステークス】苦難を経て拓けた栄光への道

 長年に亘り、スピードタイプを量産したスウェプトオーヴァーボード。重賞を3勝したパドトロワに続き、レッドファルクスがスプリンターズSの連覇を成し遂げたうえ、ダートの本格派としてオメガパフューム(東京大賞典4回、帝王賞)も送り出しているが、父に初のタイトルをプレゼントしたのがアーバンストリートだった。

 母タイキクリスティー(その父シアトリカル)は未勝利だが、その姉兄にクロフネミステリー(6勝)、タイキパイソン(7勝)ら。半弟にもタイキエニグマ(7勝、根岸S2着)がいて、近親にタイキメビウス(アイビスサマーD3着)、 ナムラビッグタイム(NZT3着、ファルコンS3着)、トウカイミステリー(北九州記念)らも名を連ねる優秀なファミリーである。

 2歳8月の小倉(芝1200m)を鮮やかに逃げ切り、新馬勝ちしたアーバンストリート。しかし、小倉2歳S(12着)以降は長期の不振に陥って9連敗を喫し、早熟タイプとの評価が定着してしまう。

 ところが、4歳3月の中京(芝1200m)では別馬のような差し脚を繰り出し、久々の勝利。勢いに乗って、三河特別、淀屋橋Sと、一気の3連勝を決めた。いずれもメンバー中で最速の上がりを駆使する文句なしの内容。野村彰彦調教師に急激に変貌を遂げた理由を訊いたところ、こんな答えが返ってきたのが思い出深い。

「3歳の春先から秋まで休養させ、ぐっと調子が上向いた。にわかには信じられない話だが、『首筋にとげが刺さっていて、それが取れました』って、放牧先から報告があったんだよ。どうやら若駒のころ、何かの弾みで牧柵の木片が皮膚の下に入り込み、ずっとそのままになっていたようなんだ。それだけがきっかけとも思えないけど、微妙な違和感があったのかもしれない」

 そんなことがあるのかと、こちらも耳を疑ったのだが、馬づくりのベテランはいたって真面目な表情。かつては走りのバランスが悪かったのか、背中に疲れがたまりやすかったのに、それもすっかり解消してしまったとのこと。

 同馬の躍進は、植平敏次調教助手の熱心な取り組みによる成果でもあった。田原成貴厩舎に所属した時代には弥生賞を制したフサイチゼノンも手がけた腕利きではあっても、キャリア7年目にして3連勝は初体験だった。当時、野村厩舎の一員となったばかりであり、植平さんが持ち乗りで担当するようになった直後に快進撃は始まったのだ。

「自分で追い切りまで乗って、初めて結果が出たのがこの馬。任せてくれた野村先生には感謝していますし、やりがいも感じていましたよ。速いところで沈む感触は、さすがにオープン級。ただし、ハミを噛むと右にもたれるくせがあるので、左回りのほうがスムーズなんです。だから中京は得意。そんななか、阪神の準オープンも快勝でき、これは底知れないと驚きましたね」

 植平さんの進言で、同馬は坂路中心のメニューに切り替えたのだが、それは右にラチを置き、口向きを改善させたかったから。狙いはずばりとはまった。その後の3戦は末脚が不発に終わったものの、夏場のリフレッシュにより、一段と心身が充実。復帰4戦目の納屋橋Sを順当に勝ち上がる。続く尾張Sは3着だったとはいえ、最後方の位置取りから直線だけで豪快に追い込み、2度目となるピークの到来を予感させた。

 シルクロードSは、2歳時以来となる重賞の舞台。さすがに相手は揃い、7番人気に甘んじたが、初めて手綱を取る福永祐一騎手も同馬の持ち味はしっかり把握していた。そろっとゲートを出し、前半は他馬と接近しすぎないよう、馬群の切れ目で折り合いを付けた。進出したい4コーナーでは外に振られる馬がいて、ぽっかり前が開く。そのスペースを見逃さずにゴーサインを送ると、あっという間に10頭以上を交わし去り、まっすぐにヴィクトリーロードを突き抜けた。ラスト3ハロン(33秒9)は、レースの上りを1秒0も凌ぐ鋭さである。殊勲のジョッキーは、こう声を弾ませた。

「うまく脚をためられた。ロスなく運べたしね。それにしても切れたよ。これならG1でも楽しみがある」

 だが、高松宮記念はスタートで躓き、8着止まり。これで緊張の糸が切れたのか、噛み合わない走りを繰り返すこととなる。翌秋の京洛Sが最後の栄光。地方に転入し、8歳まで現役を続けながら、2つ目のタイトル奪取は果たせなかった。

 苦難を重ねたぶんも、シルクロードSのパフォーマンスはあまりにも鮮烈だった。いまでも淀のターフには、アーバンストリートの蹄跡がくっきりと刻まれている。