サアカスの馬たち
~グレードレース メモランダム~
フェノーメノ
【2014年 天皇賞・春】二度の坂越えで覚醒する怪物レベルのポテンシャル
美浦を代表する実力派の地位をしっかり確立している戸田博文調教師。桜花賞でクラシックの栄冠を勝ち取ったうえ、引退レースの中山牝馬Sを勝利で締めくくったキストゥヘヴン、度重なる骨折を乗り越えて3つのタイトルを奪取したシンゲンを送り出すなど、プロらしい仕事をこつこつとこなしてきた。手にしたJRA重賞は20勝に上るが、堂々の代表格がフェノーメノ。馬名(ポルトガル語で怪物)通り、若駒当時より桁違いのポテンシャルを見込んでいたという。
「愛称は〝マメ〟。1歳時は体付きがマメタンクみたいでした。真っ黒な色艶から黒豆を連想しましたしね。能力的な期待というより、なんともかわいい容姿に愛着を覚えたんです。それが、育成過程で伸びやかさも出て、どんどん垢抜けた雰囲気になっていく。成長力に驚かされました」
父はステイゴールド。ドリームジャーニー(有馬記念、宝塚記念、朝日杯FS)、ナカヤマフェスタ(宝塚記念)、オルフェーヴル(皐月賞、ダービー、菊花賞、有馬記念2回、宝塚記念)と、次々にチャンピオンホースを輩出していたうえ、49頭しか誕生しなかった同期生にはゴールドシップ(皐月賞、菊花賞、有馬記念、宝塚記念2回、天皇賞・春)もいるのだから、恐るべき遺伝子といえる。母ディラローシェ(その父デインヒル)は愛米で2勝。その半兄にインディジェナス(香港年度代表馬、ジャパンC2着)がいる。サンデーサラブレッドクラブに総額2000万円でラインナップされた。
2歳8月の入厩以降も、着実に進歩。10月の東京、芝2000mでデビュー勝ちを収めた。ホープフルS(7着)、東京の500万下(芝2000mを1着)、弥生賞(6着)と、間隔を開けて大切に使われ、青葉賞では2馬身半差の快勝。晴れて重賞ウイナーの仲間入りを果たす。そして、ダービーをハナ差の2着。世代でも屈指の実力を示した。
ひと夏を越え、一段とたくましさを増し、セントライト記念に快勝。過去2走で流れに乗れなかった中山コースをあっさり克服する。
「うちは速い調教で急激に攻めず、じんわり筋力や心肺機能を高めていくやり方を採っています。この馬も余裕残しでデビューさせましたし、その都度、先を見据えた8、9割りの仕上げで臨んでいましたよ。それまでステイゴールド産駒とは縁がなかったのですが、父らしくない性格なのかもしれませんね。教えたことを素直に吸収してくれるのがすばらしい点。ちょっとしたことで歯車が狂いがちなのが馬なのに、きっちり要求に応えてくれる。一戦ごとにレースが上手になりましたよ」
天皇賞・秋は半馬身差の2着に涙を飲んだものの、初めてとなる古馬相手に正攻法で勝ちに出た結果である。スタートで躓いて流れに乗れず、ジャパンCを5着。それでも、トレーナーの脳裏にはさらなる飛躍がイメージされていた。
「3歳時はまだやんちゃな仕草が目立っていた。肉体面の上積みも大いに見込める状況だったんです。過剰な消耗を避け、十分なリフレッシュ期間を挟んだことで、完全にひと皮向けました」
日経賞を危なげなく突破してリズムに乗る。天皇賞・春のパフォーマンスは圧巻だった。ハイペースを自ら動き、力でねじ伏せてしまった。スタートで躓きかけて後手を踏み、宝塚記念は4着に終わったが、荒れた馬場が響いたもの。だが、シーズン後半の大レースを目前にして左前脚に軽度の繋靭帯炎を発症してしまい、結局、9か月間も沈黙を守ることとなった。
じっくり時間をかけて立て直され、日経賞(5着)で復帰する。久々のレースに折り合いを欠いたのが敗因だった。再び天皇賞・春へ。中団のインで脚をため、3コーナーすぎから外へ出してポジションを上げていく。直線も脚色は衰えず、後続の強襲を粘り強く凌ぎ切った。クビ差の接戦ではあったが、堂々たる復活劇だった。
以降は調教で動けても、実戦で本来の闘志を取り戻せない状況が続き、天皇賞・秋(14着)、ジャパンC(8着)、有馬記念(10着)と不本意な走りを繰り返した。日経賞(8着)をステップに、得意の淀を目指す予定だったが、両前に炎症が見られ、競走生活を退くこととなった。
種牡馬としては良績を収められず、2021年に引退。生まれ故郷の追分ファームにて功労馬となった。伝統のロングディスタンスを連覇した生粋のステイヤーらしく、長く元気に余生を送ってほしいと願っている。