サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

フィールドルージュ

【2007年 名古屋グランプリ】名脇役が放ったダイヤモンドの輝き

 イスパーン賞でエルコンドルパサーを退けるなど、現役時代も日本での知名度が高かったクロコルージュ。ただし、種牡馬としては目立った産駒を送り出せず、アイルランドへ再輸出された。代表格となるフィールドルージュが4戦目にして初勝利(3歳5月、京都のダート1800m)を飾ったのは、売却された直後のことだった。

「どこにダイヤモンドがころがっているか、わからないものだよ。セリ(北海道市場・サマーセレクション1歳)では、ひと声で落札。曾祖母がメジロラモーヌだといっても、当時、母(メジロレーマー、不出走)の仔でJRAを勝利した馬は皆無だった。強いインパクトなど残っていない。この世代の期待馬といったら、フィールドジュエル(3勝、地方1勝、)だった。祖母がダイナシュガーと、筋が通った血統だからね。セレクトセールの落札額も、ルージュが3頭も買えた」
 と、西園正都調教師は、出会った当時を振り返る。同馬の購買価格は750万円だった。

「でも、デビュー前の函館滞在中に、洗い場の脇にある鉄パイプを跨ぎ、慌てたことがあった。あんなところに脚は届かないはずなのに。すごい格好で暴れたことにもびっくりしたけど、なんて体が柔軟なんだろうって感心したなぁ。当時は体質が弱かったし、フットワークが大きいから、芝から使い出したんだ」

 昇級戦となった函館のダート1700mも勝利。1000万下を4着、2着、2着したうえ、翌年2月に京都(ダート1800m)で3勝目を挙げた。これが松永幹夫騎手(現調教師)にとっては引退レース。JRA通算1400勝目となる記念すべきゴールとなる。続く韓国馬事会杯を突破してオープン入り。アンタレスS(4着)では、早くも重賞制覇のメドが立つ。大沼S(1着)、マリーンS(2着)、武蔵野S(3着)と堅実に歩み、JCダートも3着に食い下がった。

「気性的に難しいタイプ。自ら止めちゃうことがある。ファイナルS(4着)、平安S(6着)、フェブラリーS(5着)とも、ゴール板を過ぎてエンジンがかかったくらい。そんななか、ノリちゃん(横山典弘騎手)とは波長が合うよ。依頼する前から気になる馬だったらしい。常識に当てはめず、うまく馬に気持ちを乗せてくれた」

 大沼S、マリーンSと連勝を飾り、ますます輝きを増していく。武蔵野S(4着)を使って調子を上げ、JCダートは2着に惜敗。そして、名古屋グランプリでは初のタイトル奪取がかなう。直線であっさり抜け出し、断然人気(単勝1・6倍)に応えた。

「レースでの豪快な走りに反して、調教では懸命さを欠き、相変わらず動かない。ただし、キャリアを重ねるたびに落ち着きを増し、反抗的な態度が目立たなくなってきた。身体的なフレッシュさを保っていたし、相手関係を見ても、続く川崎記念も負けられないと思っていたね」

 ここでも単勝1・8倍の支持を受け、それにふさわしい堂々たる立ち回り。3番手から早めに進出し、2馬身半の差を付ける完勝だった。ついにG1の勲章を手にする。

 ところが、フェブラリーSで競走中止のアクシデントに見舞われる。ゲートを出た際に躓き、左前をぶつけて落鉄。それが原因となり、歩様が乱れたものと推測された。懸命の立て直しを図り、JBCクラシック(5着)、浦和記念(4着)と健闘したものの、屈腱炎を発症。7、8歳シーズンは一度も出走できなかった。

 アンタレスSはスタート直後に落馬してしまう。東海Sを右肩跛行で出走取り消し。帝王賞(5着)、JBCクラシック(6着)を経て、引退が決まった。

 ヴァーミリアン、ニホンピロアワーズ、チュウワウィザードらも勝ち取った今年で23回を迎えるダート界の出世レースが名古屋グランプリ。改めて歴史をたどってみても、個性的な名脇役が主人公となった2007年の一戦は、いまでも新鮮な感動を伴って蘇ってくる。