サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

イタリアンレッド

【2011年 小倉記念】盛夏に揚げる真っ赤な気炎

 2011年のサマー2000シリーズでチャンピオンに輝いたイタリアンレッド。7、8月に限定すれば、6戦6勝というパーフェクトな成績を収めている。

「冬場が体が硬くなりがちなのに、気温の上昇とともに身のこなしがスムーズになるのが特徴。代謝が良くなり、馬体の張りもぐんぐん良くなる。典型的な夏女でした」
 と、石坂正厩舎で調教パートナーを努めた古川慎司調教助手は懐かしそうに振り返る。

 ネオユニヴァースの初年度産駒。母バルドネキア(その父インディアンリッジ)はアイルランド生まれで、G3・プシケ賞など仏伊で4勝、伊オークスでも2着した。祖母のローザデカーリアンも重賞を2勝している名門ファミリーの出身である。

 東京サラブレッドクラブにて総額1800万円で募集された同馬は、社台ファームで順調に乗り込まれ、2歳の9月には栗東へ。ただし、デビューを間近にして両前のヒザ裏に軽い腫れが見られたことから、大事を取って休養に入る。帰厩したのは翌春のこと。挫跖するアクシデントなどもあり、競馬場への初登場は6月の中京(芝1800m、3着)にずれ込んでしまう。

「小倉巧者のイメージが強いかもしれませんが、当初は輸送でテンションが上がってしまって。2戦目(小倉の芝2000m)と500万下(同場の芝1800m)は、能力だけで連勝したものですよ。もともと手脚はすごく軽く、つなぎが柔らかくてバネもある。一瞬の脚は相当の速さです。最大の課題は、自己主張がはっきりしたメンタル面でした。ローズS(15着)では激しく折り合いを欠き、当時の不安が全部出た感じ。その後に半年間、ゆっくり休ませたことで、落ち着いてレースに臨めるようになりました」

 リフレッシュ明けの4戦は、出遅れが響いて勝ち切れなかったものの、4歳夏の小倉では対馬特別、西海賞と連勝。続くムーンライトHも豪快に差し切って、一気にオープンへと登り詰めた。

「あのころになると、ゲート内でじっとしなかったり、勝負どころで遊んだりする危うさも薄れてきましたね。ペースコントロールも利くようになり、安定して走れる下地ができたんです」

 アンドロメダS(10着)、愛知杯(4着)と歩んだところで、しっかり英気を養った。体力の向上は目覚ましく、出走後のダメージも短期間で癒えるようになったという。

「震災の影響で目標を定めることができず、急遽、臨むことになった福島牝馬Sは5着。久々に加え、実質3週間の慌しい仕上げでしたので、むしろ力を再認識しましたよ。順当に調子を上げ、マーメイドS(4着)時も自信を持っていたのですが、4コーナーでの不利が痛かった」

 52キロのハンデに恵まれたうえ、クビ差の辛勝だった七夕賞。それでも、内容は濃いものだった。想定よりも後ろの位置取り。ペースが落ちた向正面ではしきりに行きたがる素振りを見せる。勝負どころで手綱を緩めると、我慢できずに一気の加速。外が伸びる馬場状態とはいえ、一か八かの強引なパフォーマンスだった。上がってきた中舘英二騎手も「本当に勝っちゃったの」と戸惑いの表情。決して会心の騎乗といえないなか、勝ち切ったあたりは評価に値した。

「ようやく鬱憤を晴らせ、勇気を与えられた。馬も自信を深めたようで、とても気分が良さそうでしたね」

 続く小倉記念はハンデが3キロも増量。最も実績を残しているコースにもかかわらず、4番人気に甘んじた。だが、灼熱の季節を迎え、ますます状態はアップしていた。

 前半の5ハロンは57秒1のハイペース。3、4コーナーでは無理なくポジションを上げていく。直線もしっかり反応し、大外を豪快に伸びた。2着争いはハンデ戦らしく熾烈なものだったが、悠々と抜け出してコンマ3秒差の完勝を収める。勝ちタイムは1分57秒3のコースレコード。手綱を取った浜中俊騎手にとっても、忘れられない一戦となった。

「終わってみれば、力が抜けていました。小倉競馬場の近くに生まれ育っただけに、なんとしても獲りたかったタイトル。馬に感謝するしかありません」

 秋になっても勢いは衰えず、府中牝馬Sに優勝。普段は寡黙な石坂正調教師が浮かべた笑みが忘れられない。「きょうは季節外れの夏日和。この仔に向いたんじゃないかな」

 エリザベス女王杯(9着)を走り終えると、引退レースの中山牝馬S(14着)まで間隔を開け、過剰に消耗することなくターフを去ったイタリアンレッド。いまのところ勝ち上がった産駒はバレーノロッソ(3勝、地方3勝)、アルデンテ(1勝)のみだが、いずれ目を見張る爆発力を受け継いだ逸材が登場しても不思議はない。