サアカスの馬たち
~グレードレース メモランダム~
フサイチホウオー
【2006年 東京スポーツ杯2歳ステークス】驚きのパフォーマンスを演じた猛々しきプリンス
「父によく似た強烈な個性。輝かしい実績を挙げるまでもなく、ジャングルポケットの才能は抜けていました。ただし、あまりにも凄すぎて、取りこぼしも多かったイメージ。猛々しい馬でしたからね。人間がうまく御してあげれば、もっとすばらしいパフォーマンスができそうな雰囲気がありました。あの仔もいかにコントロールできるか、そこがポイントでしたよ」
と、松田国英調教師が振り返るのはフサイチホウオーについて。
ダービーやジャパンCを制した名馬のファーストクロップ。母アドマイヤサンデー(その父サンデーサイレンス、3勝)は阪神牝馬特別を2着した。同馬の全妹にトールポピー(阪神JF、オークス)、アヴェンチュラ(秋華賞、クイーンS)がいる。仏オークスなど、G1を3勝した曾祖母マデリアに連なる名牝系である。
セレクトセール(当歳)にて1億円で落札され、一躍、注目の的となる。松田師と出会ったのはそれよりも前のこと。早来のノーザンファームで、たびたび目にする機会があったという。
「生まれ落ちた直後でも、首のラインに品があり、手脚も軽く、存在感を放っていました。でも、まさか自分の手元へ来ることになるなんて。オーナーから声がかかったのは、セールが終わってしばらくしてから。走る馬は育成時代に何度も化けますが、この馬の場合、それが極端でした。もともと完成度が高かったうえ、どんどん良い方向へ変わっていきましたね」
1歳の10月に乗り出した当初より、高い評価を受ける。翌年の7月には函館競馬場に入厩。右飛節を軽く腫らすアクシデントがあり、デビューは10月まで延びたものの、その後の歩みは順風満帆だった。
10月の東京(芝1800m)を3馬身半差で楽勝。祖父トニービンから受け継がれた東京巧者の血も意識して、2戦目には東京スポーツ杯2歳Sを選択した。
好スタートを切り、2番手で折り合いに専念。中盤でハロン12秒6が3つ刻まれる緩やかなペースから、ラスト3ハロンは瞬発力比べとなった。11秒7、11秒3、11秒3とスピードアップしても、難なく対応。懸命に迫る後続を振り切り、余裕の手応えでゴールに飛び込んだ。安藤勝己騎手も、底知れないポテンシャルを感じ取っていた。
「着差は半馬身でも、まだ全能力を出し切っていない雰囲気。道中は若さを見せ、左へ行きたがって仕方なかったが、非凡な勝負根性が持ち味だよ。直線で並ばれたら、もうひと伸びしてくれた」
ラジオNIKKEI杯2歳Sでの強さも忘れられない。じっくり構え、勝負どころから外へ持ち出す。もたれる若さを見せながらも、ラストの瞬発力は断然だった。きっちりと捕え、重賞連勝を飾る。
単勝1・4倍の断然人気を背負い、共同通信杯に駒を進める。ここもクラシックを見据え、中団で脚をためる。坂に差しかかってステッキを入れると、安定した伸び脚で先頭へ。直線勝負に賭けたダイレクトキャッチがクビ差まで迫ってきたが、脚色には余裕があった。安藤騎手もまったく慌てず、ぐいと押しただけで勝負を決める。ジョッキーも満足げに笑みを浮かべた。
「前に壁をつくれば折り合いが付く。びゅっと切れなかったとはいえ、離して勝つタイプじゃない。まっすぐに伸びてくれたし、負ける気はしなかった。この状態を保てたら、この先も楽しみ」
だが、豪快に追い込みながら、皐月賞はハナ+ハナ差の3着。単勝1・6倍の支持を受けながら、ダービーでは激しくイレ込んでしまい、7着に終わった。
放牧先でも精神状態は安定せず、夏前には栗東へ戻って秋に備えた。ところが、気難しさは増す一方だった。神戸新聞杯(12着)、菊花賞(8着)と不完全燃焼。JCダート(11着)、中山金杯(15着)、京都記念(15着)でも本来の闘争心は戻らなかった。右前脚に屈腱炎を発症し、早すぎるリタイアが決まった。
種牡馬としても目立った活躍馬を送り出せず、乗馬に転身したフサイチホウオー。天才的な輝きを放った時期は短かったとはいえ、一気に情熱を燃焼させた少年期のパフォーマンスは、いまでも驚きに満ちたまま、鮮やかに蘇ってくる。