サアカスの馬たち
~グレードレース メモランダム~
ブラウンワイルド
【2010年 小倉2歳ステークス】いつまでも鮮明な晩夏の打ち上げ花火
騎手を経て、1985年に厩舎を開業した坂口正則調教師。2019年に定年を迎えるまでにJRA通算678勝を積み上げているが、特に定評があったのは2歳戦での強さ。時代の変化には敏感であり、意識的に早期デビューを目指していた。
「いくら万全を期しても、順調にいかないのが馬。若駒には気を遣うことも多い。それでも、オーナーの経済的な負担をできるだけ少なくするように気を配ってきたし、勝たせようと思ったら、できるだけ早めに臨戦態勢を整え、チャンスを広げるのが得策だよ。いまは育成技術の向上も目覚しいからね」
夏の2歳チャンピオン決定戦では、エイシンサンサンやエイシンイットオー(当時は小倉3歳S)も優勝しているが、ブラウンワイルドが残したインパクトは強烈なものがあった。
当時、トレーナーの手応えは、「正直に言えば、期待は人気どおり(単勝は66・3倍の9番人気)だった」のだが、いきなり予想を大きく覆す走りを披露する。小倉の開幕週に迎えた新馬(芝1200m)では好スタートから3番手を追走し、直線ではあっという間に6馬身の差を付けた。タイムは1分7秒9の2歳レコードである。
「攻め馬は至って地味。のんびりした性格で、ぴりっとした感じに欠けていた。ゲート試験もそう速くはなかったよ。同じレースに送り出したカノヤキャプテン(牝、3番人気で3着)の手応えが怪しいのを見て、勝負どころではがっかりしていた。勢いよく先頭に立ったブラウンワイルドに目を移しても、しばらくは信じられなくて。声も出なかったなぁ」
トランセンドを筆頭に、ダートに良績が集中しているワイルドラッシュが父。母ブラウンシャイン(その父ヤマニンゼファー)は地方で12勝したブラウンシャトレーの半妹にあたるが、名古屋で15戦して1勝のみに終わっている。
「血統背景から、ダート向きなのかとも想像していたね。ただ、カナイシスタッドでの育成時もバランス自体は整っていたし、コンパクトなスタイル(初戦は442キロ)。入厩して1か月弱で仕上がってしまったんだ」
一気に支持が高まり、単勝1・3倍に推されたフェニックス賞では、シゲルキョクチョウのロケットスタートに屈して2着に終わった。ただし、ここでもメンバー中で最速の上がりを駆使する。物見をしたりする子供っぽさも抜け、直前の追い切りでは僚馬のセキサンキセキ(同レースを3着)に先着。調教でも動けるようになってきた。
そして、夏季の総決算、小倉2歳Sへ。最終追いは坂路で52秒2、ラストは12秒7をマークし、エーシンブラン(ダリア賞に勝ち、同日の新潟2歳Sを4着。3歳春には兵庫チャンピオンシップを制覇)と併走して2馬身半の先着を果たす。ますます状態を上げていた。
「中2週でも、イレ込む心配は皆無だった。輸送が堪えるタイプでもない。控える競馬をした前走が、よりハードな戦いにつながると見ていたよ」
想像どおり、レースはシゲルキョクチョウがハナを主張し、2ハロン目から10秒4、10秒9というハイペースを演出する。一方のブラウンワイルドは、押しても加速が付かずに中団後方。それでも、3コーナーすぎでは外へ持ち出し、懸命に前進していく。待機勢にも苦しい展開を跳ね除け、最速タイ(34秒8)の末脚が炸裂。ゴール寸前で一気に交わし去る鮮やかなパフォーマンスだった。
驚くべきことに、同馬は極端に遅い6月16日生まれ。成長の余地もたっぷり残されているはずだった。ところが、その後はぱたっと勢いが止まってしまう。脚元の不安も抱えていたとはいえ、4歳になって美浦へ転厩して臨んだ2戦を含め、10連敗を喫した。しかも、すべて二桁着順である。
2歳の小倉で全精力を使い果たしてしまった幻の名馬。だが、潔く散る花ほど美しく咲き誇るように、その勇姿は極限のきらめきを放っていた。