サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

フレールジャック

【2011年 ラジオNIKKEI賞】豪華な系譜を彩る一閃の切れ味

 いまやトップトレーナーの座に君臨する友道康夫調教師にとっても、ハルーワスウィート(その父マキアヴェリアン)との出会いはかけがえのないもの。自身も5勝をマークしただけでなく、ヴィルシーナ(ヴィクトリアマイル2回)、シュヴァルグラン(ジャパンC)、ヴィブロス(秋華賞、ドバイターフ)らの母となった。

「真っ先に預託が決まったメモリアルホースがハルちゃん。技術調教師だったころ、早来のノーザンファームを訪ねたら、まだ生後3カ月くらいだった彼女がいました。生まれつきしっぽがなくて、特異なスタイル。めずらしいなぁって熱心に眺めていたら、吉田勝己社長が『見た目は変だけど、素質は確かだよ。開業したら持って行けばいい』って。デビュー以来、けなげにがんばる姿に励まされましたよ。かわいそうなのは、虫が発生しやすい夏場です。他馬のようにしっぽを使って追い払えませんから。だから、涼しくて寄ってくる虫も少ない北海道シリーズを使ったんです」
 と、トレーナーは懐かしそうに振り返る。

 ハルーワスウィートの母がハルーワソング(その父ヌレイエフ)。アメリカ産で未出走だが、ヴェルメイユ賞(仏G1)を制したメゾソプラノが半妹にいる。曽祖母のグローリアスソングがカナダの年度代表馬に輝いた名牝であり、シングスピール、ラーイ、ラキーンといった名種牡馬を産んだ。

 ハルーワソングにトップサイアーのディープインパクトが配されて誕生したのがフレールジャック。全弟にあたるマーティンボロ(中日新聞杯、新潟記念)とともに、同馬もトレーナーに大きな夢を運んだ逸材だった。

 ノーザンファーム空港で乗り込まれ、2歳5月に近郊のグリーンウッドトレーニングへ移動したフレールジャック。8月には栗東に入厩したものの、左トモに打撲による漿液がたまってしまい、山元トレセンで再調整することとなった。年末に再入厩したが、今度は右前を挫跖。NFしがらきで態勢を整え直した。ずいぶん遠回りしたとはいえ、5月25日の遅生まれだけにこの間の成長は顕著。3月の帰厩後は上々の反応を示す。

「以前はやんちゃでしたが、だいぶ大人っぽい雰囲気に。期待通りに進歩しましたね。小さなスタイルなのに、動かすと大きく見せるんです。追い切りに跨った福永くん(祐一騎手、現調教師)も『ディープらしくバネがあり、柔軟に弾む』と乗り味を絶賛してくれた。初戦から勝ち負けを意識していましたよ」

 5月の京都、芝1800mをあっさり勝利。昇級の壁もなく、続く同条件も危なげなく突破したうえ、ラジオNIKKEI賞に駒を進める。

 スムーズに好位のポジションをキープ。1コーナーでプランスデトワールが逸走するアクシデントがあったが、巻き込まれずに向正面へ。4角から徐々に差を詰め、直線は外に持ち出す。エンジンがかかってからの瞬発力は目を見張るものがあった。きっちり差し切って栄光のゴールに飛び込んだ。秀逸なパフォーマンスに、福永祐一騎手も驚きの表情を浮かべる。

「キャリアが浅く、少しずつしっかりしていく途上。初の長距離輸送でナーバスになっていたし、スタートまでイレ込みがきつかった。それを跳ね除けるんだから、並みの能力ではない。レースでも前半から行く気満々で。落ち着くのに時間がかかり、最後まで脚が残っているか不安だったが、しっかり走り抜いてくれた」

 神戸新聞杯では、オルフェーヴル、ウインバリアシオンに続く3着。さらなる飛躍が予感されたものの、距離の壁に阻まれ、菊花賞は10着に沈む。適距離に戻した鳴尾記念(4着)や東京新聞杯(7着)でも、折り合いの難しさに泣いた。

 しっかり立て直され、4歳9月の西宮Sを順当勝ちしたが、なかなか心身が噛み合わず、消化不良のレースを繰り返した。そのなかでも、ニューイヤーSを2着するなど、後方待機から末脚を生かすスタイルが定着しつつあったところで、思わぬ悲劇が待ち受けていた。中京記念で左前脚を脱臼するアクシデント。突然、この世を去ってしまう。

 輝きを放った時期は短かったものの、強烈なインパクトを残した逸材だった。無念の気持ちは、豪華に発展を遂げる一族の後輩たちが晴らしていくに違いない。天国のフレールジャックも、きっと後押ししてくれる。