サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

ブライティアパルス

【2010年 マーメイドステークス】輝かしき波動に乗ってマジカルな栄光へ

 重賞で史上最高配当となる3連単の1000万馬券が飛び出した2008年の秋華賞。力を出し切った上位3頭(ブラックエンブレム、ムードインディゴ、プロヴィナージュ)の鞍上がみな晴れやかな笑顔を浮かべるなか、僅差の4着だったブライティアパルスの藤岡康太騎手は悔しさを隠そうとしなかった。

「デビュー戦から乗った馬で初めてG1に挑戦できたのに。もっと早く動いていたら、結果は違ったかも」

 13番人気に甘んじていたとはいえ、ゴール前の渋太い伸び脚は見どころたっぷりだった。当時、平田修厩舎で調教助手を務めていた小林真也調教師は、こう振り返る。

「入厩して間もないころでも、接した同世代では一番の素材ではないかと見込んでいたんですよ。血統のイメージに反した凄みがありました」

 父は重賞を5勝したダイタクリーヴァ。ダイタクバートラム(重賞3勝)の半兄にあたり、叔父にダイタクヘリオス(マイルCS2回)がいる血脈ながら、同馬は産駒で唯一となるJRAの重賞勝ち馬である。母ストームサンデー(その父ストームバード、1勝)の産駒にはダイタクアスリート(3勝)などもいるが、待望のスター候補といえた。

 2歳12月、中京の芝1200mでデビュー。出遅れたうえ、左にもたれながらも差し切り勝ちを演じた。しかし、2戦目の京都の500万下はあっけなく殿負け。精神面のもろさを露呈してしまう。当時より自らがっちりハミを受ける傾向にあり、抑え切れない危うさを抱えていた。

「普段は人懐っこくて大人しいのに、いざレースとなると燃えすぎるのが課題。ゲート内で座り込む悪癖の矯正にも苦労しましたね。非凡なスピードが持ち味でも、ゆったり行けるマイル以上が向くと思っていましたし、惨敗後もクラシックの夢は持ち続けていましたよ。ただ、右前のつなぎに軽い外傷を負い、そこから黴菌が入って浮腫んでしまったんです」

 これからという時期に、5か月ものブランク。陣営の落胆は大きかったが、レースで消耗する前に休養を挟んだことで、ぐんと成長した。

 7月の小倉、芝1700mで戦列に復帰すると、後続をあっさり完封した。西部スポニチ賞は、悪化した馬場も響いて2着に終わったが、折り合いに進境を見せ、スタミナ面の不安も払拭。夕月特別では本命馬にぴったりマークされながらも、差し返す渋太さを発揮する。しかも、当初はローズSへ進むはずが、直前に右前を挫石するアクシデントがあり、予定を1週延ばしての勝利だった。

 ところが、秋華賞後にヒザの剥離骨折が判明。1年近くのブランクを経て、甲東特別(4着)より再スタートを切った。摂津特別、初音Sと鮮やかに逃げ切り。しかし、中山牝馬Sは8着まで後退する。福島牝馬Sも7着と、重賞の厚い壁に跳ね返された。続くメイS(3着)ではあえて前に馬を置き、控える競馬を試みることに。ぎりぎりまで追い出しを待つ作戦で好走がかない、次につながる貴重な体験となった。

 マーメイドSでは、久々に藤岡康太騎手のもとに手綱が戻る。並々ならぬ情熱を奮い立たせ、勝負に臨んだ。好スタートを決め、目論見どおりに2番手で辛抱させる。平均ペースで流れ、後続もなし崩しに脚を使う先行有利の展開となった。直線に入っても逃げたセラフィックロンプの脚色はなかなか衰えない。熾烈な叩き合いが続いた。ゴール寸前でなんとかねじ伏せ、感激のゴールに到達する。

 さらなる前進が期待されたブライティアパルスだったが、年齢を重ねるごとに激しく引っかかるようになってしまう。一生懸命になればなるほど、成績は下降。6歳のクイーンS(11着)まで6連敗した時点で、繁殖入りが決まった。馬ももどかしさを感じていたに違いない。

「結局、能力の半分も発揮させられなったように思います。個人的には生涯忘れられない名馬。彼女が教えてくれたことを、今後の仕事に生かしていかないと」

 ターフのマーメイドは、一度だけしか魔法を使わなかったが、苦難の競走生活だったからこそ、その栄光は特別な輝きを放っている。繁殖入り後はブライティアレディ(4勝)らを輩出。さらなる逸材の登場を待っている。