サアカスの馬たち
~グレードレース メモランダム~
タニノマティーニ
【2008年 キーンランドカップ】夢心地へと誘う趣深い美酒
カントリー牧場(オーナーは谷水雄三氏)が送り出した最高傑作といえば、ストレートな強さが際立つウオッカ(日本ダービー、ジャパンCなどG1を6勝)だが、タニノギムレット(ダービー)と同様、カクテルの名が付けられたブリーディングホースにタニノマティーニがいる。本馬も長く余韻を楽しめる逸品だった。
須貝彦三調教師(2011年に引退)にとっては、最後に手がけた重賞ウイナー。こう健闘を称える。
「飼い食いが落ちたことなどなかったし、本当にタフ。使われて味があったね。ずいぶん試行錯誤したが、キャリアを重ねるにつれ、得意な条件もはっきりしてきた。いつまでも忘れられない一頭だよ」
母のタニノメール(その父リヴリア)も須貝厩舎で走り、短距離で3勝を挙げた。思い入れが深い血脈である。父は、カルストンライトオ(スプリンターズS)やサニングデール(高松宮記念)を輩出したウォーニング。スピードが強調された配合であっても、異色の遅咲きだった。
デビューしたのは2歳の11月、京都の芝1400m(3着)。勝ち馬は、後に皐月賞やダービーを制し、種牡馬としても成功しているネオユニヴァースだった。3戦目(阪神の芝1400m)を勝ち上がり、3歳9月になって礼文特別を勝利。4歳時の函館では、仁山特別、道新スポーツ杯、UHB杯と一気の3連勝を飾った。5歳シーズンの充実は目覚しく、ストークSを逃げ切ってオープン馬に。ポートアイランドSを優勝すると、富士Sでも2着に食い込む。
「あのころになると、馬体にぐっと厚みを増したね。ただ、自分のリズムで走れないと危うい面も残り、その後はなかなか勝てなくて。ピークを越えてしまったのかと、自信を失いかけたこともあったなぁ」
2着が2回あったとはいえ、6歳時は未勝利。待望の8勝目は、7歳夏の函館(UHB杯)で手にした。以降は二桁着順を4回続けたが、リフレッシュ明けのテレビ愛知オープンで3着に盛り返す。
「軽快な先行力とともにパワーもあり、狙いは北海道の洋芝。冬場は汗をかかなくて。暑い時季になると調子を上げてくるんだ」
CBC賞(8着)を経て、函館スプリントSへ。しかし、4コーナーで他馬と接触する不利を受け、12着に惨敗してしまった。
キーンランドCでは最低人気(単勝1万6140円)まで評価が急落。それでも、前走の疲れは感じられず、通常よりも短期間で時計を出し始めることができた。太めに映った体が10キロ絞れ、張りは良好。函館に居残っての調整が功を奏し、イレ込みも目立たなかった。
3連勝中のビービーガルダン(2着)が果敢にハナを切るなか、すっと3番手のインに下げて末脚を温存。コースロスなく直線に向くと、ゴール寸前で終始、マークしていた逃げ馬をきっちり交わす。1番人気のキンシャサノキセキも懸命に追い込んだが、3着が精一杯だった。鮮やかなレコード勝ち。8歳にして重賞初制覇を成し遂げた。
「調子の良さを感じていても、年齢を考えれば一変は望みにくい状況。脚元など、気を遣う面も多くなっていたから。パーフェクトな競馬ができ、夢を見ているようだった」
9歳になっても旺盛な闘争心は衰えず、函館スプリントSを2着。勝ち馬のグランプリエンゼルとは6キロの斤量差があり、底力を実証する内容だった。
「あのレースも感激した。かなりテンションが上がり、いかにも淋しい体付き。そんななかでの好走だけに、驚いたというのが正直なところだった。本当に頭が下がるよ」
10歳まで現役を続行し、函館スプリントS(14着)がラストラン。4勝した思い出の地、函館競馬場で誘導馬となった。56戦9勝の歩みを振り返れば、長編小説を読破したような気分になる。