サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

イコピコ

【2009年 神戸新聞杯】高き頂を見据えて繰り出した圧巻の決め脚

 スピードタイプの良績が突出している西園正都厩舎。これまでJRA重賞を計31勝しているが、阪神JF(タムロチェリー)マイルCS(エーシンフォワード、サダムパテック)、ジュールポレール(ヴィクトリアマイル)をはじめ、26勝はマイル以下で挙げたものである。そんななか、菊花賞(4着)で2番人気に推され、クラシック制覇の期待が高まった本格派がイコピコだった。

 前哨戦の神戸新聞杯は、7番人気(単勝24・0倍)での出走。中団で折り合いに専念し、ぎりぎりまで追い出しを我慢する。レース半ばまではファンの視線を集めることもなかったが、直線に入って一気に加速。スローに流れたのにもかかわらず、レースの上りをコンマ8秒も凌ぐ33秒7の決め手を繰り出した。2馬身差を付ける圧倒的な勝ち方。しかも、タイムはレコードである。

 父は菊花賞、有馬記念、天皇賞・春などを制したマンハッタンカフェだが、母のガンダーラプソディ(その父ジェイドロバリー)はダートで1勝。曾祖母にカッティングエッジの名があるものの、とびきりの良血というわけでもない。株式会社レックスが馬主を対象に共有を募る「PRO」の所属馬(代表馬主は錦岡牧場)となり、総額は1600万円で募集された。

 錦岡牧場で育成された同馬が西園厩舎にやってきたのは、2歳の10月。当時の印象について、トレーナーはこう振り返る。

「体質が弱く、いかにも成長途上。正直にいえば、未勝利は勝てるかなという程度の手応えだった。デビュー戦(11月の京都、芝1800mで15着)があんな結果だったから、自信を失いかけたことも事実だよ」

 歩様が乱れたために、中1週で出走予定の未勝利を取り消すと、3か月間の放牧を挟むこととなる。ここでトレーナーの想像を超えた進歩を遂げた。

「短期間でこんなに変わるものかと目を疑った。ぐんとたくましさを増したんだ。フォームに柔軟性が加わり、サンデーサイレンス系の特徴が表面に出るようになったしね」

 復帰戦の小倉(3月1日、芝1800m)で、あっさり初勝利。昇級の壁もなかった。4戦目の阪神(4月5日、芝1600m)では33秒6の上がりを駆使。豪快な差し切りを演じる。出遅れて、ぽつんと最後方を進んだプリンシパルS(4着)での末脚も一際、光るものだった。白百合Sはスローに流れたものの、いつもより前目の位置取りできっちりと捕え、順当にオープン入りを果たす。

「ラジオNIKKEI賞(トップハンデの57キロを背負って4着)は、展開のアヤだよ。小回りを意識して前半から攻めていったぶん、ラストで甘くなってしまった。キャリアを積むごとにレースが上手になってきたし、ためれば確実に鋭い脚を使える。神戸新聞杯の内容を見れば、その名の通り(イコピコとはハワイ語で頂上にとの意)、すぐG1に手が届くと思っていた」

 ところが、菊花賞はスタートで躓き、後方に置かれる。メンバー中で最速の脚(3ハロン34秒8)で追い上げたものの、前が止まらなかった。鳴尾記念も好位を進む作戦が裏目に出て、4着に終わる。有馬記念(8着)を経て、リフレッシュを図ったが、阪神大賞典(9着)後は右前の出にスムーズさを欠くようになった。

 以降は骨折する不運もあり、まったく力を発揮できない。ラストランは5歳の夏至ステークス。ゴール前で右前肢のつなぎを脱臼するアクシデントに見舞われ、異色の天才肌はあっさりと天国へ旅立った。

 普段は素直で手がかからず、誰からも愛されたイコピコ。関係者の悲しみはあまりに大きなものだったが、その魂は後輩たちにもしっかりと受け継がれ、いまでも新たな成功を後押ししている。