サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

ダブルウェッジ

【2009年 アーリントンカップ】並み外れたパワーを誇った未完の大器

 パワフルな伸び脚を繰り出し、2009年のアーリントンCを制したダブルウェッジ。好スタートを切ったが、3番手でがっちり抑え、勝負どころに入ってじわっと進出を開始。最後は力でねじ伏せる秀逸な内容だった。

 スプリンターズSでG1勝ちを果たしたマイネルラヴの産駒。母ファインディンプル(その父シルヴァーホーク、不出走)は、メイショウレガーロ(京成杯2着)の母となるコッコレ(1勝)の半妹であり、同馬の半妹にビービーバーレル(フェアリーS、ブリーダーズゴールドCを3着)がいる。祖母の半姉に米G1・ジョンAモリスHに勝ったリンクリヴァーが名を連ねるファミリーだ。

「540キロもの大型に育つとは想像していなかったが、当歳時よりしっかりした馬体が目を引いた。加藤ステーブルやフロンティアスタッドで乗り込まれるようになってから、どんどんスケールアップしてね。タフな体質だけに、入厩後もスムーズに出走態勢が整った。素質には自信を持っていたよ」
 と、田所秀孝調教師は若駒時代を振り返る。

 2歳10月、京都の芝1200mでデビュー。クビ差の2着に惜敗する。続く同条件も2着。3戦目の京都を順当に勝ち上がると、つわぶき賞は2着に食い下がった。

「1600mまでは視野に入れていたけど、スタートが速いから、まずは1200mで勝たせようと思ったんだ。なかなか勝ち切れなかったのは、追われて内にもたれたりする精神的な幼さが残っていたため」

 果敢に重賞へと挑み、初のマイルだったシンザン記念(2着)でも、わずかクビ差に健闘する。期待に反したクロッカスS(6着)にしても、道悪がすべて。父と同様、良馬場でこその個性だった。

「東京への遠征でプラス体重だったように、輸送はまったく平気。むしろ、リラックスしすぎ、闘争心が高まらなかったくらいだった。オン、オフの切り替えが下手でね。それに、跳びが大きく、ちょっとのアクシデントが響くところもあって。即座に立て直せる器用なタイプじゃない。経験を積むにつれて、まっすぐ走れるようになってきたけど、アーリントンCのゴール前でもふわふわしていたように、進歩の余地はたっぷり残されていた」

 ところが、毎日杯(10着)で左トモの第一趾骨を骨折。競走生命にかかわる危機を克服し、1年後にはカムバックできたものの、すっかりリズムが狂ってしまう。4歳時に西宮Sを2着するなど、実力の片鱗を垣間見せながら、15連敗を重ねた。

 復活の勝利を挙げたのは、地方・船橋へ移籍後の4戦目、神楽月オープンだった。さらに3戦を消化し、明け7歳なったところで静かに競走生活から退いた。

 もどかしい晩年を送った未完の大器。それでも、青春期のまっただ中で刻んだウェッジ(くさび、V字形の意)は、決して輝きを失わない。