サアカスの馬たち
~グレードレース メモランダム~
ダノンヨーヨー
【2010年 富士ステークス】永遠の少年に託された洋々と広がる夢
長年に渡って一流馬を送り出したダンスインザダーク。ダノンヨーヨーも強烈な個性を放った逸材だった。セレクトセール(当歳)での落札価格は6400万円。母フローラルグリーン(その父フォーティナイナー)は4勝した活躍馬で、菊花賞を制したナリタトップロードの半妹という魅力的な血筋である。
3歳4月になって、ようやくターフに初登場(阪神の芝1600m)を迎えた。惜しくも2着に敗れたものの、次位をコンマ8秒を上回る33秒1の上がりを駆使した。続く京都のマイルを楽に抜け出した。
同馬を手掛けた井(い)義信調教助手は、こう若駒当時の思い出を話す。
「初対面のとき、目がテンになった。なんて垢抜けた馬なんだろうって。ただ、難しさも併せ持っていた。入厩が遅れたのは、爪に弱点があったから。釘を打つと亀裂が入ってしまうくらい質がもろくて、蹄鉄を装着するのもひと苦労してね。当初は裸足で攻め馬をしていた。腱にも疲れがたまりやすい。そろっと仕上げてレースに送り出したんだ。負けたレースは、どれも出遅れが響いたもの。パドックや返し馬では平気なのに、スタートで待たされると反抗する。3戦目(京都の芝1600mを4着)になるとストレスがたまり、じっとできなくなった。枠内に固定して、1か月くらい練習を積んだけど、自己主張がはっきりしている馬でね。なかなか納得してくれない。そうこうしているうちに、肩の出が悪くなってしまい、長期の休養を挟むことになった」
栗東へ戻ってきたのは年末になってからだった。1月の2戦をいずれも2着に惜敗し、再びリフレッシュへ。4月の阪神(芝1600m)で2勝目をつかんだ。スタートで後手を踏んだ立川特別(3着)を経て、六波羅特別で3勝目をマーク。4コーナー手前で被せられ、バランスを崩すシーンがありながら、直線は地力の違いでもうひと伸びした。
「ムチを満足に使えなかったように、いざというときによれてしまうんだ。ただ、あの時点でも全力を尽くしていない雰囲気。特徴は急には変えられないけど、肉体的にはだいぶしっかりしてきた。持ち前の気の強さも、いずれはいい方向に発揮できるようになるんじゃないかと想像していたね」
丁寧に磨かれた成果が表れ、月岡温泉特別、ポートアイランドSと一気に連勝。折り合いに進境を示すとともに、まっすぐ伸びるようになった。勢いに乗り、富士Sへと駒を進める。
初の重賞挑戦にもかかわらず、単勝5・1倍の2番人気に支持された。そして、期待に違わぬパフォーマンス。位置取りは後方となったが、じっと脚を温存した。直線で大外に持ち出すと、馬群をひと飲み。後続にコンマ2秒差を付ける完勝だった。
直線で左にもたれたのを反省しながらも、北村友一騎手は安堵の笑顔を浮かべる。
「抜け出してソラを使い、ずいぶん刺さってしまって。結果論ですが、もう少し追い出しを我慢しても勝てたでしょうね。それにしても、抜け出すときの速さは桁違い。初めて味わう感触でしたよ」
続くマイルCSは2着だったとはいえ、着差はわずかクビ。レースのラスト3ハロンを1秒5も上回る33秒6の豪脚を爆発させている。さらなる前進は必至に思われたが、なかなか集中できない精神面に泣かさるように。マイラーズC(3着)、マイルCS(4着)、安田記念(4着)などで見せ場をつくりながら、結局、以降は未勝利に終わった。それでも、9歳まで走ってもフィジカルは若々しいままだった。
永遠の少年が華々しく才能を開花させた富士Sは、浅見国一厩舎に所属していた時代にもヤマニングローバル(デイリー杯3歳Sを勝利後に重度の骨折を発症しながら、古馬になってからも重賞を3勝)を手がけた馬づくりの達人であり、この道30年以上のベテランにとっても、生涯忘れられない一戦となった。
「ずっとひやひやして見ていた。でも、そのぶんも喜びは格別だったね。大きな夢を運んでくれ、出会えたことに感謝するしかない」