サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

ダッシャーゴーゴー

【2010年 セントウルステークス】マッハゴーゴー~走り出したら後には引けぬ~

 カレンチャン(スプリンターズS、高松宮記念)に続き、ロードカナロア(スプリンターズS2回、高松宮記念、安田記念、香港スプリント2回)でも頂点を極め、スピード王国を築いた安田隆行厩舎。ただし、両馬に先駆けて頭角を現し、ステーブルに初となるスプリント重賞をもたらしたのはダッシャーゴーゴーだった。

 日本の短距離界を支えたサクラバクシンオーが父。母はアメリカで1勝したネガノ(その父ミスワキ)であり、重賞(イヤリングセイルズS)に勝った祖母マダムトレジャラーに連なるファミリーである。同馬の兄姉にビッグシャーク(5勝、地方5勝)、ホワイトヴェール(3勝)らがいて、ダッシャーワン(6勝)やサンライズネガノ(4勝)、ブレイヴバローズは半弟にあたる。

 調教パートナーを務めた安田景一朗調教助手は、こう若駒当時を振り返る。
「2歳6月の入厩直後から、稽古はすいすい動きました。デビュー戦(7月の小倉、ダート1000m)も楽々と勝利。ただ、母の仔はみなダートタイプです。芝適性となると、半信半疑でしたね。それが、小倉2歳S(クビ差の2着)でも勝ちに等しい走り。ききょうSは完勝でしたし、抜け出すときの脚が速かった。末恐ろしい馬だと思いました」

 だが、京王杯2歳S(4着)、朝日杯FS(12着)と期待を裏切った。3歳春も力んで走りがちな特徴が災いし、ファルコンS(4着)、マーガレットS(8着)とも消化不良に終わる。

 きっかけがつかめたのがCBC賞(2着)。ゲートをそろっと出し、末脚勝負に徹したところ、大外を豪快に強襲した。続く北九州記念は4コーナーで外に振られ、11着に敗れたものの、着々と肉体面も強化されていた。

「びしびし攻めてもまったくへこたれないまでにパワーアップ。完成の域に入ってきた手応えがありました。しっかり追えば、どんどんいい体付きになっていく。だから、仕上げに迷いはなく、その都度、きっちり照準を合わせることができるようになったんです」

 セントウルSでは、ついにタイトル奪取に成功。無理せず中団を進み、早めに抜け出しながらも後続の追撃を退ける。手綱を取った川田将雅騎手にとっても、かつて所属した安田厩舎の管理馬による初重賞制覇となっただけに、喜びは格別。「師匠とともに夢をかなえたい」と声を弾ませた。

 スプリンターズSでもメンバー中で最速の上がり(3ハロン33秒5)を繰り出し、ハナ差の2位で入線した。ところが、他馬の進路を妨害して4着に降着。後方の位置取りが響き、京阪杯も10着に敗れる。

 汚名返上に燃えたオーシャンS。陣営の思いに馬もきっちり応える。なだめながら好位を追走。直線も力強く伸び、充実期を迎えていた王者のキンシャサノキセキを完封した。ところが、高松宮記念では再び降着(4位入線も11着)に泣く。

 トップクラスの実力を再認識させたのが4歳時のCBC賞。内枠を引いた先行勢に有利な展開だったのにもかかわらず、58・5キロのトップハンデを跳ね除け、豪快な差し切りが決まった。

「ほんの少し幸運に恵まれれば、G1に手が届くはずの器でした。過剰にテンションを上げることなく調整できるようになり、それ以降も持ち前のパワーは健在。苦い経験があったからこそ、馬も人も学んだことは多い。ただ、相変わらずスムーズさを欠くことが多く、ずいぶん歯がゆい思いをしましたね」

 結局、これが最後の勝利。無念の15連敗を喫する。それでも、キーンランドCではわずかハナ差の2着。6歳になっても、シルクロードS、オーシャンSと2着に健闘した。ダートに挑んだJBCスプリントを含め、3着も3走ある。シンガポールのクリスフライヤーインターナショナルスプリント(10着)に関しては、ゲートで落ち着きを欠いたうえ、道中で落鉄する影響があっての結果だった。

 屈腱炎によるブランクの影響が大きく、セントウルS(14着)で復帰したものの、7歳時のスプリンターズSは18着に失速。翌春のオーシャンS(14着)を走り終え、引退が決まった。

 すっかり不運なキャラクターが定着してしまったとはいえ、成績以上に中身が濃いパフォーマンスを演じたダッシャーゴーゴー。常に前向きなファイトを燃やす姿は、いまでも関係者や多くのファンの記憶にしっかりと焼き付いている。