サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

タスカータソルテ

【2007年 京都新聞杯】豊かな才能が詰め込まれた幸せのポケット

 父のジャングルポケットより連想され、イタリア語で「ポケット一杯の幸せ」と名付けられたタスカータソルテ。ジャガーメイル(天皇賞・春)、オウケンブルースリ(菊花賞)、トールポピー(オークス、阪神JF)、トーセンジョーダン(天皇賞・秋)らと同様、大舞台向きの遺伝子を受け継いでいた。

 母ブリリアントカット(その父ノーザンテースト)は4勝をマーク。同馬の姉妹にジェミードレス(6勝、府中牝馬Sを2着)、テイラーバートン(3勝、フェアリーS3着、クイーンC3着)らがいる。社台サラブレッドクラブにて総額3000万円で募集された。

「クラシックに進める逸材だと胸を張れたのは、あの馬が初めて。チームのキャリアが浅く、がむしゃらな情熱でカバーしていた当時に、『厩舎力』を高めていく原動力になってくれた。感謝の気持ちで一杯だよ。出会えて幸せだった」
 と、藤原英昭調教師は感慨深げに振り返る。

「小ぶりだったけど、1歳のころからバランスはすばらしかった。良血馬がひしめく社台ファーム内でも、一貫して評価は高かったね。2歳の8月に札幌で迎えたデビュー戦(芝1800mを10着)は華奢なスタイルのままで送り出したし、ソエも気にしていた。思い切って、放牧に出したのが正解。ぐっと成長したよ」

 暮れの中京で芝2000mをレコード勝ちすると、続く福寿草特別も強烈な末脚を爆発させて4馬身差の快勝。しかし、弥生賞(7着)、毎日杯(8着)と足踏みした。

「ハンドルに遊びがなく、反応が良すぎるので、いかに人間がコントロールしてあげられるかがポイント。コミュニケーションが取れるよう、基本を繰り返したんだ」

 地道が積み重ねが功を奏し、京都新聞杯では初のタイトル奪取がかなう。中団で折り合い、豪快な差し切りを決めた。

「ダービー(11着)は、ちょうど骨瘤が出かかっていた時期。硬い馬場が堪えたね。ジャングルポケット産駒らしく荒々しく、まだゲートを嫌がったり、他馬を怖がりたりする気性の難しさも抱えた状況。本領発揮は古馬になってからだろうと見ていた」

 距離の壁に泣き、神戸新聞杯は6着、菊花賞も9着。中日新聞杯で3着に盛り返し、将来の飛躍を予感させながら3歳シーズンを終える。

 3か月間の充電を経て、中京記念より再スタート。ローカルのG3なら元値が違う。みごとに馬群を割り、2つ目の重賞に手が届いた。日経賞(6着)や金鯱賞(11着)では期待を裏切ったが、帰厩10日で臨んだ函館記念(7着)を叩き、ぐんと調子を上げる。鋭い末脚を爆発させ、札幌記念に優勝。勝ちタイムは1分58秒6のレコード。18年間もグレートモンテが守り続けた基準タイムが、ついに更新された。

 結局、これが最後の勝利となったが、5歳時にはシンガポール航空インターナショナルC(5着)にも遠征。6歳になっても中京記念を2着するなど、中身の濃い競走生活を送った。

 ところが、突然、悲しい別れが。エイシンフラッシュで2010年の日本ダービーを制した直後、藤原調教師はこう静かに口を開いた。

「昨日の金鯱賞では、3年前のダービーにも駒を進め、愛着が深かったタスカータソルテが競走中止(左第1指関節脱臼を発症)。予後不良となってしまった。天国から後押ししてくれたのかもしれない」