サアカスの馬たち
~グレードレース メモランダム~
ダコール
【2015年 新潟大賞典】陣営の熱意に応えた若々しきエキスパート
父ディープインパクトの長所をストレートに受け継ぎ、柔軟性やバネが非凡だったダコール。母アジアンミーティア(その父アンブライドルド、地方4勝)は、BCジュヴェナイルやフロリダダービーを制し、種牡馬としても数々の重賞勝ち馬を輩出するアンブライドルズソングの全妹にあたる。同馬の半姉にファルコンSを3着したルシュクル(函館2歳SやキーンランドCを制したブランボヌール、函館スプリントSなど重賞を3勝したビアンフェの母)がいる。
「愛着が深いファミリーですし、大成が期待できる血統背景。ただし、離乳した直後に首を骨折するアクシデントに見舞われ、瀕死の重傷を負ったんです。まずは無事に出走できるよう、願っていましたね。中期育成時はずっとパドック放牧のみ。馴致の開始も2歳の年明けにずれ込みました。ところが、恐るべき活力の持ち主。慎重に乗り進めたのにもかかわらず、2歳の8月末には入厩できました」
と、母や姉らも手がけた中竹和也調教師は若駒時代を振り返る。
生まれ持った身体能力の高さを生かし、難なくデビュー戦へとこぎつける。しかも、いきなり最高の結果が。10月の京都(芝1600m)を楽々と抜け出す。続く東京スポーツ杯2歳Sでも5着に追い込んだ。しかし、走りは粗削り。ゲートで出遅れるうえ、軽くアクセルを踏んだだけで一気に加速しがちだった。しばらくは我慢が利かないのが悩みとなる。
「疲れを知らない健康体ではあっても、しっかり下地ができていなかったですからね。小中学校で入院生活を送っていたのに、高校に入ったら急に陸上競技を始めたようなものです。当時の課題は精神面。とにかくじっとしていない。多動症の幼児みたいでした」
なかなか勝ち切れず、500万下を卒業したのが9戦目の鹿屋特別。初めてとなるコーナー4つの形態にもかかわらず、上手に折り合えた。
「きっかけがつかめた一戦となりました。距離を延ばしていける手応えを得られ、うれしかったですね。本来は素直な性格ですし、学習能力にも優れています。少し時間がかかりましたが、肉体的に苦しいところがなくなったことで、だんだん道中でリラックスできるようになってきましたよ」
もともと中長距離向きのスタイル。3歳秋のドンスターCで順当に3勝目をマークした。準オープンに昇級してからも、直線は確実に伸びる。烏丸Sでの勝ち方は圧巻だった。ラスト33秒2の決め手を駆使。レースの上がりを2秒0も凌ぐ鋭さだった。大外一気の末脚を爆発させ、釜山Sを完勝。ここまで20戦を消化したとはいえ、5勝、2着8回、3着が4回、すべて5着以内でまとめた。
「ようやく心と体のバランスが取れてきたところ。ぐっと落ち着きを増し、以前とはまるで別馬です。調教がしやすくなったことで、いい筋肉が備わってきました」
6歳になり、アンドロメダSに勝って鬱憤を晴らしたとはいえ、福島記念(3着)、小倉大賞典(2着)、新潟大賞典(3着)など、あと一歩の惜敗が続き、重賞のタイトルは思いのほか遠かった。
「一瞬の瞬発力で勝負するタイプだけに、展開やスパートするタイミングが鍵。それに、芝質にも左右されます。パンパンの硬い馬場が理想なのに、今度こそと意気込んだときに限って、なぜか雨が降るんです」
7歳時の小倉大賞典は3着。福島民報杯も2着に泣く。しかし、いまだ青春の真っただ中にあったダコール(フランス語で了解、OKとの意味)。その名の通り、陣営の熱意に結果で応える瞬間が訪れる。それが新潟大賞典だった。
抜群のスタートが決まり、無理せずに中団をキープ。直線も他馬とは手応えが違った。満を持して追い出されると、瞬時に馬群を割った。スローの決め手比べとなったなか、2着にコンマ2秒の差を付ける楽勝だった。
「持ち味がフルに発揮できれば、いつか願いはかなうと信じていましたね。厳しいレースを重ねても故障とは無縁。若々しさを保っていましたから」
これが最後の勝利となったが、翌年も小倉大賞典(2着)、新潟大賞典(4着)、七夕賞(2着)、小倉記念(4着)と善戦を重ねる。9歳の小倉大賞典(10着)まで、全48戦を懸命に駆け抜けた。
幼少期のトラブルを簡単に挽回したうえ、晩年になっても驚異の成長力を示したダコール。トレーナーだけでなく、多くのファンにも勇気や希望を与えた奇跡の馬だった。