サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

ダークシャドウ

【2011年 エプソムカップ】暗い世相を跳ね返すヒーローの閃光

 2歳9月、美浦に入厩した時点でもパワフルに動けたダークシャドウ。ただし、力強くかき込む前肢に反してトモの弱さが目立ち、脚元に負担がかかりやすかった。心身を慎重に見極めながら、大切に育てられる。いったん放牧を挟んで成長を待ち、翌春のデビューを目指した。

 セレクトセール(当歳)にて2500万円で購買。父は底力に富むダンスインザダークである。母マチカネハツシマダ(その父プライヴェイトアカウント、3勝)の産駒にはユノナゲット(5勝)、ダノンブライアン(4勝)、チョイワルグランパ(4勝、地方5勝、シリウスS3着)、ナリタポセイドン(4勝、地方3勝)など、砂巧者が多い。ところが、同馬は雄大でありながら、柔軟性も兼ね備えていた。一貫して芝戦線を歩む。

 3歳4月、東京の芝2000mではラスト33秒5の末脚を駆使し、あっさり初戦を飾る。続く500万下(芝2000m)も危なげない差し切りだった。

 支笏湖特別(4着)やセントライト記念(5着)当時は毛艶も冴えず、体調が本物でなかった。4か月のリフレッシュを経た許波多特別(2着)も伸び切れなかったものの、チークピーシーズを着用させた調布特別を3馬身差の楽勝。東京では3戦無敗となり、左回り、そして、長い直線でこその個性だと実証した。

 ここで東日本大震災が発生し、関東の開催が休止される事態に。コーナーでの加速が苦手だけに、当初は外回りとなる阪神の難波S(結局、同厩のストロングリターンが勝ち、その後の京王杯SCや安田記念の制覇につなげた)へ向かう予定だった。除外され、同日の2000m(内回り)、大阪杯に格上挑戦。美浦陣営の滞在先となった京都競馬場を経由しての輸送が堪え、体重は16キロも減少していた。それでも、大外を強襲してヒルノダムールをハナ差まで追い詰める。無欲で直線に賭けた作戦がはまったことも事実だが、エイシンフラッシュ、ダノンシャンティ、キャプテントゥーレら、G1ウイナーに先着したのだから、この時点でもトップクラスのポテンシャルを示していた。

 次の目標は都大路Sだったが、1週前追い切りの直後に右トモの歩様がぎこちなくなる。過去の左回りコースに片寄った実績は、アンバランスな後肢の送りにもたらされたものであり、手前の替え方にスムーズさを欠くのも課題として残っていたが、丁寧に修正しながら、再びペースアップ。筋肉の張りが上向き、惚れ惚れするようなルックスとなった。エプソムC参戦にゴーサインが出される。

 もうダークホースではなく、重賞でも堂々の主役。そして、1番人気にふさわしいパフォーマンスを演じる。抑え切れないほどの手応えで好位を追走。直線はあっさり馬群を割り、後続に2馬身差を付ける。抑えたままでゴールイン。大阪杯に続いて騎乗した福永祐一騎手は、こう晴れやかな笑みを浮かべる。

「前走で能力の高さを確信。落とせないレースだと思っていた。直線も荒れたインを走らせたが、まったく苦にしなかったね。秋にはG1でも期待できる」

 いよいよ充実期へ。毎日王冠も単勝2・0倍の支持を集めた。スローな流れにもかかわらず、位置取りは後方。それでも、福永祐一騎手はぎりぎりまで我慢させる。直線は馬群に進路をふさがれ、なんとかスペースが確保できたのはラスト1ハロンになって。ところが、爆発力は圧倒的だった。矢のような鋭さでクビ差だけ抜け出したところがゴールだった。

 ジョッキーの予言通り、天皇賞・秋も半馬身差の2着に迫る。京都記念(2着)より5歳シーズンをスタートさせ、ドバイデューティフリーに挑戦。9着に敗れたが、輸送と環境の変化が堪えたものだった。

 札幌記念(2着)より再始動。天皇賞・秋(4着)、ジャパンC(4着)でも鋭い伸びを見せる。コース形態や距離が合わず、有馬記念は6着に敗れた。

 大阪杯(5着)や安田記念(6着)もひと息の内容。レースの反動が大きななか、的確に状態を把握し、懸命の立て直しが図られたのだが、毎日王冠(5着)、マイルCS(16着)、中山記念(11着)と成績は大きく上下動した。

 59キロのハンデを課せられながら、7歳時のエプソムCを3着。函館記念ではコンマ1秒差の2着に前進した。だが、毎日王冠(12着)、天皇賞(10着)、金鯱賞(6着)と歩むうち、徐々にフレッシュさに陰りがうかがえるようになる。アメリカJCC(10着)がラストラン。新潟競馬場で乗馬となった。

 後半の競走生活は苦悩が付きまとったとはいえ、底知れないポテンシャルを垣間見せたダークシャドウ。一気に階段を駆け上った若き日のときめきは、いまだに熱いままで多くのファンの胸に残っている。