サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

トウカイポイント

【2002年 マイルチャンピオンシップ】父に捧げる輝かしき勲章

 圧倒的な強さで7冠に輝いたシンボリルドルフの最高傑作であり、現役時代は絶大な人気を誇ったトウカイテイオー(皐月賞、ダービー、ジャパンC、有馬記念)。スタリオン入りしてから期待に応えたとはいえず、後継を残せなかったが、ファーストクロップよりG1ホースを輩出している。マイルCSを勝ったトウカイポイントのことだ。しかし、戴冠までの道程は長く、険しいものだった。

 2歳の5月、地方・盛岡でデビューし、4戦目に初勝利を上げたトウカイポイント。若駒当時は華奢で見栄えがしなかったものの、JRA主催のひいらぎ賞へ挑むと、単勝82・7倍の低評価を覆して4着まで追い込む。このパフォーマンスが評価され、美浦の後藤由之厩舎に移籍した。

 上位を賑わしながらも勝ち切れず、ようやく勝ち上がったのは転入6戦目の東京(芝1600m)だった。以降は長距離戦での先行策が実を結び、4歳4月に格上挑戦した湾岸Sを勝利する。札幌日経オープンでも2着に逃げ粘るなど、確かな実力を示した。

 ただし、最大の課題は折り合い面。条件クラスでも結果が残せず、5歳時の湾岸S(11着)を走り終えたところで去勢手術が施される。

 効果は絶大だった。休養後は控えても脚がためられるようになり、中距離での差し馬に変身。HTB賞、オクトーバーSと一気に連勝する。カブトヤマ記念でも2着に食い込んだ。気難しさが緩和され、ぐっと調整がしやすくなったことで、6歳になっても中身はどんどん充実。ついに中山記念では初のタイトルをつかむ。栄光へと導いた岡部幸雄騎手は、こう健闘を称えた。

「相手が揃っていたし、楽な競馬にはなるまいと思っていたが、よく伸び、ラストで外から迫られても我慢が利いた。レコードタイムの決着に対応。能力の高さは疑いようがないし、まだ良化の余地を残している」

 宝塚記念(10着)、函館記念(14着)と足踏みし、ピークは越えたかと思わせたものの、札幌記念では大外一気の脚を繰り出して2着に反撃。マイルでも決め手を生かせると見た陣営は、次走に富士Sを選択する。直線で不利を受けて5着だったとはいえ、忙しい流れにも難なく対応。マイルCSへのチャレンジが決定した。

 淀みのないペースで流れるなか、中団の馬込みで脚をためた。コースロスなく直線へ。外へ持ち出してゴーサインを送る。早めに追い出したぶん、最後は5頭が横一線の大接戦となったが、後方から迫るエイシンプレストンらを気迫で競り落とし、栄光のゴールに飛び込んだ。

「前走だって、まともなら突き抜けていた。鬱憤が晴らせたね」
 と、蛯名正義騎手は胸を張った。

 香港マイルへも駒を進め、コンマ1秒差の3着。ようやく晩成の遺伝子が騒ぎ出した。だが、7歳緒戦の中山記念で、右前脚の浅屈腱を不全断裂。引退することとなった。

 母マッチポイント(その父リアルシャダイ)は、13戦して未勝利。ただし、その全妹にインテレット(アメリカジョッキーCC2着、毎日杯2着)やトランスワープ(函館記念、新潟記念)の母となったボンヌシャンスがいる。近親にダイナカール(オークス)らが名を連ねる豪華な一族。同馬の半弟パープルエビス(スプリングS2着、アーリントンC2着)もオープンで活躍した。

 セン馬ゆえに種牡馬となれなかったのが惜しまれるが、イメージ以上に従順であり、父譲りのスター性も兼備。引退後はノーザンホースパークの乗馬に転身し、馬術競技会で優秀な成績を収めた。同場を退厩後も支援者の手厚いサポートに支えられ、幸せな余生を送っている。長く健やかにと願いたい。