サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

トーホウアラン

【2006年 中日新聞杯】敏腕チームに勇気を与えたフロンティアホース

 続々とスターホースを送り出し、日本を代表する地位を堅持する藤原英昭厩舎。勝率の高さは目を見張るものがあるが、チーム力を高める礎となった一頭にトーホウアランがいる。

 父はサンデーサイレンスの代表的な後継であり、大レース向きの底力に富むダンスインザダーク。母ヒドゥンダンス(その父ヌレイエフ、米6勝)はG1のサンタアニタオークス、同・ハリウッドオークスなど重賞を3勝した名牝である。

 2歳の10月に栗東へ移動した当初は心身の繊細さが際立っていたが、この血らしい柔らかい乗り心地。時間をかけて入念にステップを踏み、1月の京都(芝2000m)でデビューする。2番手からあっさり抜け出し、初勝利を収めた。セントポーリア賞も楽勝。続くスプリングSでは長距離輸送による馬体減りが響いて10着に沈んだが、きちんと立て直された京都新聞杯を正攻法で勝ちにいき、みごとにライバルを競り落とした。だが、大目標のダービーではイレ込みがきつく9着に終わる。レース後に右前脚の骨折が判明した。

「4コーナーで致命的な不利。手応えが抜群だっただけに、悔やまれる結果だったよ。ただし、それも含めて競馬だし、改めてダービーを勝つのは難しいと痛感させられた。がむしゃらに取り組んでいたなか、こちらの技術を磨いていくうえで貴重な財産となったし、エイシンフラッシュ(2010年)、シャフリヤール(2021年)の制覇へもつながった」
 と、藤原調教師は振り返る。

 秋は菊花賞へ直行し、8着が精一杯だったものの、中日新聞杯で2つ目のタイトルを奪取。インの中団で脚をため、ゴールへ向けて鋭く伸びた。ハナ差の辛勝ではあったが、騎乗したクリストフ・ルメール騎手は、こう非凡な才能を称える。

「1番枠を引き、レースの組み立てが難しいと思っていた。心配していた通り、ずっと内に包まれてしまって。直線で前の馬が抜け、ようやくスペースを確保できたけど、もしスムーズだったら、2馬身くらいは突き放せていたよ」

 だが、身体へのダメージは大きく、1年2か月ものブランク。復帰後も5連敗を喫した。それでも、陣営は簡単にはあきらめず、同馬向きの対処を試行錯誤していく。5歳秋の朝日チャレンジCでは渋太く2着に粘り切り、心身が噛み合いつつある手応えを得ていた。

 京都大賞典ではアルナスライン(菊花賞2着)やアドマイヤジュピタ(天皇賞・春)に注目が集まり、単勝4番人気だったが、手綱を託された鮫島良太騎手は、追い切りの感触から好勝負になると見込んでいた。中日新聞杯と同様、ラストで狭いところをタイミング良く抜け出す。ジョッキーも満面の笑みを浮かべた。

「レース前日にも前に馬を置き、我慢させるメニューを消化。それが功を奏しました。想定より位置取りは後ろになりましたが、ロスのない競馬ができ、勝負どころでも手応えは絶好。無事に勝てたのは、馬と厩舎のおかげです」

 さらなる前進が期待された同馬だったが、ジャパンC(10着)で蹄を傷め、9か月間の沈黙。復帰初戦の朝日チャレンジCで3着に浮上しながら、脚元に配慮しながらの調整を強いられ、アルゼンチン共和国杯(9着)の後、また1年5か月もレースから遠ざかった。8歳で臨んだ小倉記念(16着)がラストランとなる。

 厳しい逆境に耐え、鮮やかな逆転劇を演じたトーホウアラン。いまでも敏腕ステーブルに勇気や希望を運び続けている。