サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

トーホウジャッカル

【2014年 菊花賞】ミラクルな生命力で開花させた秋の大輪

 従来の日本レコードを1秒5も短縮する驚異のタイム(3分1秒0)を叩き出し、2014年の菊花賞を制したトーホウジャッカル。好位で折り合ってスパートのタイミングをうかがい、早め先頭から後続を完封する堂々たる内容だった。開業20年目の谷潔調教師にとっても、これが初となるG1の勲章である。

「絶好の2番枠を引け、ああなったらいいなと思い描いたとおりのレース運びです。2着馬が迫ってきたら、ぐっと頭を下げてもうひと伸び。ゴール手前で勝てる確信があったとはいえ、夢を見ているようでしたよ。自信を持って勝負した学くん(酒井騎手)に尽きます。ゲートを押して出し、ポジションを取りにいきましたからね。神戸新聞杯(アタマ+アタマ差の3着)は、ラストで外に振られました。それでも、1000万下の身での健闘。目いっぱいだろうと思ったのに、ジョッキーの悔しがり方はこちらが圧倒されるくらいでしたよ。いまとなれば、馬も『こんなもんじゃない』って訴えていた。へこたれるどころが、さらに調子を上げたんです。距離延長も難なく克服し、豊富なスタミナを証明。速い時計が出る馬場もプラスに働きましたね。いまの大舞台に不可欠なスピードも兼備しています」

 持ち味をフルに引き出した酒井ジョッキーは、初騎乗の菊花賞で栄冠を勝ち取った。デビュー17年目ながら、芝のG1は初勝利だった。こう感激の瞬間を話してくれる。

「心臓の強さを感じていても、距離延長が課題だった神戸新聞杯。1コーナーまで行きたがりましたが、そこからすっと折り合えました。負けたとはいえ、これなら本番でも勝負になると確信しましたよ。どの馬も3000mは未知ですし、歴代の菊花賞を見ても、前目のインで運ぶのがベスト。多少はかかっても、まずはポジションにこだわりました。坂の下りでハミを噛んだときも、開き直っていられましたね。いまでも夢のよう。馬に感謝するしかありません」

 父は中長距離のGⅠを4勝したスペシャルウィーク。待望の牡馬クラシックホースである。母トーホウガイア(その父アンブライドルズソング)は地方で9勝。同馬の半姉にスプリント戦線で活躍したトーホウアマポーラ(CBC賞など6勝)がいる。芝12ハロンの米G3・ヴァインランドHに勝ち、G1・フラワーボールHでも3着した曽祖母アガセリーに連なるファミリー。奇跡の馬が誕生したのは、東日本大震災が発生した当日のことだった。

「1歳の後半くらいにオーナーより声をかけていただきました。当時もしっかりした馬体。大物感がありましたよ。武田ステーブルでの育成も順調に進行。ところが、栗東への移動を考えていた矢先、ウイルス感染による腸炎を発症。一時は体重が50キロ近く落ち、歩くのもままならない状況でした。競走馬になるのは難しいと思えました」

 だが、懸命の治療と想像以上の生命力で立ち直り、再びペースアップ。3歳3月に谷師の手元にやってきた。

「デビュー戦(京都の芝1800mを10着)にこぎ着けたのは、ダービーが行われた週です。まさか3冠目に間に合うなんて。追い切りでは好タイムをマークしていましたが、とにかく無事にと願っていましたね」

 そんななかでも、酒井騎手は初騎乗時より強烈なインパクトを受けていたという。「まさに奇跡の巡り会いでした」と振り返る。

「早くから順調だったら、声がかからなかったでしょう。あの時点ではよく個性もわからず、大ざっぱな感触ではありましたが、伸びていくときのフットワークが桁違い。2戦目は函館に先約があり、乗れなかったのですが、もう一度、チャンスがほしいとお願いしたんです。やんちゃな性格で、運動中はカラスにケンカを売ったり、いざとなっても集中できず、頭を上げたりしたとはいえ、そのぶん伸びる余地がたっぷり残されていました。一戦ごとに潜在能力が表面化。見た目に大きな変化がなくても、レースへの対応力は優秀でしたし、毎回、うれしい発見がありましたよ」

 初戦は出遅れて直線だけの競馬。優先出走権がないと芝へのエントリーがかなわず、ダートを試した6月の阪神も、砂を被って9着に終わる。ここから急激な進歩を示し、中京(芝1600m)をハナ差で競り勝つと、小倉の芝1800mも連勝。玄海特別は2着だったが、最速タイの上がり(34秒7)でクビ差まで追い詰めた。

「心配した反動などなく、体調は安定したまま。使うたびに動きが良化したうえ、精神的にもたくましくなっていく。だんだん落ち着きが出て、操縦性を高めましたしね。まだ奥があるのかって、感心させられました」(谷調教師)

 出走149日での菊花賞勝ちは最短記録。さらなる成長が見込めた。ところが、右前の蹄を打撲する不運に見舞われ、予定していた阪神大賞典や天皇賞・春を回避。宝塚記念(4着)で復帰を果たしたものの、札幌記念(8着)を走り終え、球節に不安が発生。一度狂った歯車はなかなか修正できず、5歳春も連敗を重ねた。金鯱賞(11着)がラストラン。右前に屈腱炎が認められ、早すぎる引退が決まった。

 アロースタッドで種牡馬入りしたものの、産駒は数少ない。それでも、意外性に満ち、あっさり常識を覆したミラクルな遺伝子である。新たなドラマを巻き起こす逸材の登場を待ちたい。