サアカスの馬たち
~グレードレース メモランダム~
マイネサマンサ
【2007年 中山牝馬ステークス】ベテランの魂を乗せてこたえた晴れやかなカーテンコール
激しい気性が災いし、育成当時も順調に乗り込みが進められなかったマイネサマンサ。3歳になって中村均厩舎へ移動し、デビューを果たしたのは3月の阪神(ダート1800m)だった。このレースが初騎乗となった新人の長谷川浩大騎手(現調教師)を鞍上に迎え、みごとに新馬勝ちを飾る。
父はディアブロ。同期にナイキアディライト(かしわ記念、日本テレビ盃など)、エースインザレース(兵庫ジュニアグランプリ)らがいて、日本での初年度産駒にして最高の成果を挙げた世代にあたる。母アオエトウショウ(その父トウショウボーイ)は1勝のみに終わったが、その半兄に菊花賞を2着したゴールドウェイ。繁殖成績は優秀であり、同馬の半兄に6勝を挙げたマイネルエアメールがいる。もともと身体能力は非凡だった。
続くダート1400mも4馬身差の圧勝。初の芝となった忘れな草賞で3連勝を決めると、グランシャリオC(4着)や秋華賞(5着)でも見せ場をつくった。だが、常に全力を尽くす反面、身体は未完成。脚元へのダメージは大きく、4歳シーズンは順調さを欠く。久々に勝利したのは、年明けの周防灘特別だった。折り合いの難しさに泣かされながらも、洛陽Sを突破してオープンに返り咲き、マーメイドS、府中牝馬S、阪神牝馬Sと、あと一歩の2着に食い込む。明け6歳となり、京都牝馬Sを逃げ切り勝ち。晴れて重賞ウイナーとなった。
クラブの規定では6歳3月が繁殖入りの期限とされているものの、陣営はさらなる前進が可能と判断。特例として1年間の現役続行を決断する。爪の治療による3か月間の休養を経る間に、かつての担当者が退職。新たに手掛けることとなったのが、村上忠正厩務員だった。
「厩務員さんって呼ばれるのは嫌や。馬丁(ばてい)とか、別当(べっとう)とかの方がぴったりくる。競馬が華やかでないころも、誇りを持ってやってきたんやから。
小さいころから馬が大好き。縁故もないのに、頼み込んで入った。厩社会は『人生の吹きだまり』なんて蔑視された時代や。親族には、あいつは馬の生まれ変わりやないか、なんて呆れられた。仕事は想像以上に厳しかったなぁ。それでも、後悔したことなんて一度もない。
当時のことを思えば、この世界もがらっと変わった。いまは恵まれすぎ。手を抜くことしか考えないやつは許せんのや。馬のおかげで生活させてもらってる。感謝の心を忘れたらあかん」
曲がったことが大嫌い。相手が誰であろうと、思ったことをストレートにぶつける。ただし、人一倍、涙もろく、心は温かい。午前の調教が終わると、他のスタッフはみな自宅に帰るのだが、村上さんはずっと厩舎に居残り、馬の傍から離れようとしなかった。栗東で知らぬ人はいない大ベテランである。
村上さんの最高傑作がマイネルマックス(重賞を4勝)。朝日杯3歳S(96年)の表彰台では、感激のあまり、泣きに泣いた。ボールドエンペラー(デイリー杯3歳Sなど)ではダービーを2着。トウカイパレス(95年菊花賞で2着)も、クラシック制覇にあと一歩まで迫った。
「自分には縁がないと思っていた重賞をマックスで勝てたとき、これで胸を張って三途の川を渡れるって思ったなぁ。帝室御賞典(天皇賞)に出る夢は果たせなかったが、そんなこと言い出したらきりがあらへん。馬丁一代40年、本当に幸せやった」
村上さんの定年退職も迫っていたが、最後にもうひとつ大きな勲章を手にしてほしい、そんなトレーナーの恩情もあったのだろう。だが、腕利きにとっても、マイネサマンサはなかなか手ごわい個性だった。放牧に出ても、どうしてもオーバーワークになり、愛馬はガリガリの身体で戻ってくる。厩のなかでもリラックスすることがない。いつも耳を伏せ、人を威嚇。飼い食いの細さも半端ではなく、たぶん通常の馬の3分の1くらいしか口にしない。それでも、根気強くケアを施した。
ヴィクトリアマイル(10着)では戦列に復帰。マーメイドS(4着)やオーロC(3着)など、展開次第で上位に踏み止まるのだが、復活の勝利は遠かった。
「ほんまは12月で定年やったが、テキが競馬会に掛け合ってくれてな。サマンサがいる3月一杯まで仕事ができるようになった。ありがたいことや。無事に繁殖入りさせるまで、精一杯がんばるで」
いよいよ中山牝馬Sが、人馬ともにラストラン。ところが、1コーナーで前が詰まる致命的な不利を受ける。結果的にこれが幸い。蛯名正義騎手(現調教師)が急に立ち上がったことで、馬の無駄な力が抜け、後方でも我慢が利いた。渋った馬場での消耗戦となったなか、直線は目を見張る末脚を駆使。きっちり差し切ったところがゴールだった。
しかし、競馬場に男泣きする村上さんの姿はなかった。レースの直前に体調を崩して緊急手術。きっと病床で胸をなで下ろしたことだろう。ミラクルなパフォーマンスに勇気を与えられ、しばらくして健康を取り戻すことができた。
晴れやかなカーテンコールにこたえた魔女(サマンサは『奥さまは魔女』の主人公名より)も無事に繁殖入り。なかなか産駒に恵まれず、2020年に母の役割を終えたとはいえ、村上さんとの思い出を噛みしめながら、幸せな余生を送っているに違いない。