サアカスの馬たち
~グレードレース メモランダム~
マイネルレコルト
【2004年 新潟2歳ステークス】秋を待たずに豊作期を迎えたディープ世代の2歳チャンプ
ディープインパクトが圧倒した世代にあって、いち早く頭角を現し、スター街道を駆け上ったのがマイネルレコルト。マイネルキッツ(天皇賞・春、日経賞、ステイヤーズS)、ビービーガルダン(阪急杯、キーンランドC)、マイネルラクリマ(京都金杯、七夕賞、オールカマー)ら、個性豊かな活躍馬を輩出したチーフベアハートの代表格である。
母ミヤギミノル(その父タイテエム)は未勝利ながら、ミホクイーン(桜花賞2着)、カイラスアモン(東京新聞杯)の半妹にあたる。だが、高齢での出産だったうえ、同馬の兄姉たち12頭のうち、JRAで勝ち上がったのはエスティートップ(1勝)とマイネルギャラント(2勝)のみだった。HBAサマーセール(1歳)にて700万円で落札。母の名ミノルから連想され、レコルト(フランス語で収穫)と命名された。
6月の福島(芝1200m)でデビューすると、楽々と抜け出して後続に2馬身半の差を付けた。タイムは2歳コースレコード。ダリア賞も危なげなく勝利を飾る。
レースの上がりが33秒7という直線の決め手比べとなった新潟2歳S。スローな流れを中団でじっくり構えていたが、ラストは3ハロン33秒3の鋭さを発揮する。後に阪神JFを制する2着のショウナンパントルに1馬身半差を付ける完勝だった。
「なんてやせっぽっちなんなだろうって、初対面のときは思った。それなのに、調教ではびっくりするほどタイムが出る。自分が持っているサラブレッドの概念が覆されたほど。一気に仕上がってしまい、目先のレースに集中するうち、立て続けに勝利。毎回、こちらのリクエストを簡単にクリアしてしまう。でも、これまで接したことがないタイプだけに、どんな条件が合うのか、どんな乗り方をしたら持ち味を発揮できるのか、想像できない部分も多かった」
と、主戦を務めた後藤浩輝騎手は同馬ならではの魅力をこう話してくれた。
出遅れが響き、京王杯2歳S(5着)で初の敗戦を喫する。しかし、ジョッキーの能力に対する信頼は、まったく揺るがなかった。前半からハイラップが刻まれた朝日杯FSだったが、3コーナーから強気にぐんぐん進出する。直線であっさり先頭に踊り出て、後続に2馬身差。レコードタイムで押し切った。
「口向きを修正しようとハミを『Dビッド』に変更。会心のレースができた。ただし、達成感に浸っている余裕はなかった。新馬からクラシックへと、1頭のパートナーと歩んだのは初めて。常にレコルトのことを考えていたといっても、言いすぎじゃない。弥生賞(3着)の当時、何度も口角に切り傷をつくっていたので、馬具店に相談をもちかけ、あたりが柔らかいハミを特注。皐月賞(4着)は作戦通りに運べたが、あれが良かったのか、悪かったのか、ディープインパクトを負かすことしか考えていなかったから。だから、自分のリズムに専念して、ダービー(5着)に臨んだ。結果的に最後方の位置取りでも、それも想定内。あせりはまったくなかった。直線に向いたとき、爆発的な切れ味を発揮しそうな予感が。でも、その直後、他馬にぶつけられてしまって。でも、レコルトはゴールまであきらめずに走ろうとしていたよ」
ダービーでの健闘で闘志が燃え尽きたのか、セントライト記念(9着)以降も連敗を重ねた。5歳時の京成杯AH(7着)がラストラン。左前に屈腱炎を発症してしまい、引退が決まった。
早熟な2歳チャンプとの評価が定着してしまっても、新潟2歳Sや朝日杯FSで放った強烈なインパクトは決して色褪せない。馬事公苑で乗馬となり、JRAのコマーシャルビデオに出演するなど、幸せに余生を送る様子が確認できたが、現在も三木ホースランドパークで元気に過ごしている。ぜひ長寿を願いたい。