サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

マコトスパルビエロ

【2009年 日本テレビ盃】長き旅を経て強さを増した雄大な白鷹

 長きに渡ってサイアーリーディングの上位を守ったブライアンズタイム。芝の王道路線だけでなく、晩年はダートでの活躍馬を数多く輩出した。マコトスパルビエロも非凡なパワーを受け継いだ一頭であり、鮮烈な印象を残した。
 母マコトシュンレイ(その父リンドシェーバー、ダートで1勝)と同様、父としては異色の芦毛。祖母の半姉にリアルサファイヤ(フラワーC、フェブラリーSに勝ったサンライズバッカスの母)がいる。

 担当した折間勇治調教助手(鮫島一歩厩舎)は、こう独特の乗り心地を表現する。
「2歳夏に函館へ入厩した当時も、どこまで強くなるのか、底知れない感じでしたね。力の要る馬場も苦にせず推進。まるで大型ダンプのようでした」

 スパルビエロとは、イタリア語で灰鷹の意味。爆撃機の名ともなった。デビュー当初でも500キロ超のたくましい馬格を誇り、破壊力も優秀。札幌で迎えた新馬(芝1800m)は8着に敗れたとはいえ、ソエに配慮した調教過程だった。暮れの中京でダート1700mを試すと、あっさり初勝利。昇級初戦を11着に大敗したが、連闘で臨んだ黒竹賞をみごとに逃げ切る。

「2月の大雪が降った日、放馬してしまい、ヒザに外傷を負わせてしまったんです。トレセンに入って5年目で、初の落馬でした。2勝目を挙げて、さあ、これからという大切な時期。自分の不注意が恥ずかしかったし、馬に申し訳なかったですよ。そんなアクシデントも難なく乗り越え、どんどん力を付けてくれた。こちらが逆に励まされましたね」

 休養後に3連敗を喫したとはいえ、3歳夏になって本格化する。猪苗代特別を突破し、関越Sではレコードタイムでの快勝。初の重賞挑戦となったエルムSも2着に踏み止まった。

 軽度の骨折に見舞われたものの、それも短期間で回復。4歳時は平安S(3着)、佐賀記念(3着)、ダイオライト記念(4着)、エルムS(5着)など、グレードレースで崩れずに走ったうえ、ベテルギウスSを勝ち切った。翌年も平安S(3着)、アンタレスS(4着)と、あと一歩でタイトルに手が届かなかった。

 鬱憤を晴らしたのが、マーキュリーC。楽々と先手を奪い、2着のスマートファルコンを4馬身も突き放した。続く日本テレビ盃も鮮やかに連勝。ここでは3番手のポジション取りとなったが、スタミナを要するハイペースで粘り強さを発揮。しっかり抜け出し、後続を完封した。

「普段は本当にかわいい。人懐っこく、おっとりしていて、性格もいいんです。小細工なしに先行し、力でねじ伏せるのが勝ちパターン。しばらくはもまれ弱いって言われましたが、走ることにもひた向きです。他馬を気にしたりもしない。フットワークが大きいだけに、すっとスピードに乗れませんし、瞬発力勝負も向きませんが、人気を裏切ったレースは出遅れたり、前が壁になったりして、自分のリズムで走れなかっただけですよ。ようやく理想的なレースができ、喜びは格別でした」

 JBCクラシックでもアタマ差の2着に食い下がる。JCダートは9着だったが、名古屋グランプリを快勝。ダイオライト記念(3着)を経て、マーチSで4つ目のタイトル奪取を果たした。

 以降もトップクラス相手に健闘。だが、6歳で臨んだマーキュリーC(5着)で骨折を発症し、3年間も療養生活を送った。プロキオンS(15着)、BSN賞(5着)と歩んだところで屈腱炎に。引退が決まった。

 種牡馬入りしたものの、2019年に放牧中の事故に見舞われ、この世を去った。優しい性格ながら、豪快なフットワークを繰り出す姿は、いまでも熱いときめきを伴って蘇ってくる。