サアカスの馬たち
~グレードレース メモランダム~
マルカシェンク
【2008年 関屋記念】度重なる試練を打ち破る天賦の瞬発力
9月の阪神、芝2000mに初登場すると、単勝1・1倍の支持にふさわしい楽勝を収めたマルカシェンク。所属する瀬戸口勉厩舎には、後に2冠を制するメイショウサムソンも在籍していたが、当時の評価は圧倒的に同馬のほうが上だった。2戦目にはデイリー杯2歳Sを選択。早くも重賞のタイトルを手にする。続く京都2歳Sも快勝し、クラシック候補№1の座を不動のものとした。ところが、ここで最初の悪夢が。レース中に右前のヒザを骨折していた。担当した瀬戸口健調教助手は、当時を思い返して唇を噛み締める。
「祐一くん(福永騎手、現調教師)とは事前に馬場のどのあたりが走りやすいか相談し、実際にイメージしていたレースができたのに。愕然としましたよ」
同助手の父は名古屋の名トレーナーであり、勉師の実弟にあたる瀬戸口悟調教師。栗東トレセンに移る前にも地方競馬や育成牧場でも豊富な経験を積んだ腕利きである。かつてはサニングデール(04年高松宮記念など)らも手がけたなか、規格外の才能を感じ取っていたという。
日本競馬を一変させたサンデーサイレンスのラストクロップ。母シェンク(その父ザフォニック)がG2・伊1000ギニーを制し、同馬の妹弟にもザレマ(京成杯オータムH)、ガリバルディ(中京記念)らがいる魅力的な血統背景である。
京都新聞杯(5着)より戦列に復帰し、なんとかダービーに間に合ったマルカシェンク。素質だけで4着まで追い上げた。しかし、再度の骨折を発症。いったん狂ってしまったリズムは、なかなか戻らなかった。
「毎日王冠(4着)をひと叩きし、復調気配が感じられたのに、大目標だった天皇賞は登録時点の優先順で補欠。出走が確実な前週の菊花賞(7着)へ向かうことになったわけです。がっちりした体型からも、やはり距離が長かった。反動は大きく、その後は体調維持だけで精一杯でしたね」
鳴尾記念を2着するなど、確かな能力を垣間見せながらも、4歳時の中山記念(7着)まで9連敗を喫してしまう。勉師の引退に伴って、瀬戸口さんとともに河内洋厩舎へ転厩。リフレッシュ放牧を挟んだうえ、再スタートを切ろうとした矢先、最大の試練が待ち受けていた。腸ねん転を起こし、診療所に緊急入院。開腹手術が行われた。幸い発見が早かったため、一命を取りとめることができた。
「よく耐えてくれましたよ。1か月間の入院生活で、体重が100キロ近くも落ち、見るのもかわいそうな姿。やり切れない気分で、放牧先の社台ファームへ旅立つ〝シェンくん〟を見送りました。それなのに、半年ぶりに対面したら、ほれぼれするような筋肉が備わっていたんです」
11か月間のブランクを経て、ニューイヤーSへ。好スタートを決めてハナに立ち、あっさりと押し切った。実に2年2か月ぶりの勝利だった。
「ようやく明るい光が見えてきた思い。あの感激は忘れられません。性格的にもだいぶ成長。人や馬を見ると、荒々しく威圧していたのに、甘えてくるようになりました」
小倉大賞典は2着に健闘。出遅れたうえ、直線で他馬と接触した中山記念(4着)や、スタートで躓き、落馬寸前の不利があったダービー卿CT(8着)にしても、敗因ははっきりしていた。外傷を負ったことに配慮して間隔を開け、新たな気持ちで関屋記念に臨んだ。
久々にもかかわらず、きっちりと鍛えられ、パドックでも他を圧するオーラを放っていた。レース運びもまったく危なげのないもの。スローに流れるなか、悠然と後方に構え、直線は大外へ持ち出す。ゴーサインを受けると、楽に馬群をひと飲み。ラスト3ハロンは32秒3という究極の鋭さだった。騎乗した福永祐一騎手は、かつて手綱を取った瀬戸口厩舎の最高傑作の名を挙げながら、こう天賦の才能をほめたたえる。
「無事ならば、ネオユニヴァース級の出世が期待できた素材。きょうは力でねじ伏せてくれたね。まだ若さが残るし、これをきっかけにG1戦線に向かいたい」
だが、これが同馬にとって最高のパフォーマンスとなる。以降は闘志が空回りするようになり、出負けする傾向が顕著になっていく。ルーラーシップやペルーサをはじめ、ゲート難に悩まされた数多くの例が物語るように、一度、身に沁みこんでしまった悪癖は、どんな優秀なホースマンでもなかなか改善できない。京都金杯や富士Sでは2着に追い込んだものの、瀬戸口さんの熱心な取り組みも実を結ばず、結局、先頭でゴールすることはなかった。7歳暮れのジャパンCダート(10着)まで歩んだところで、引退が決まった。
「すば抜けたポテンシャルをうまく発揮させてあげられず、〝シェンくん〟に申しわけなかった。最後まで懸命に走ってくれ、感謝するしかありません。自分にとっては永遠の最強馬です」(瀬戸口助手)