サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

マジンプロスパー

【2012年 阪急杯】剛速球で勝負するターフの大魔神

 アストンマーチャン(スプリンターズS)、スノードラゴン(スプリンターズS)をはじめ、多数の快速タイプを輩出したアドマイヤコジーン。マジンプロスパーも代表格の一頭である。母ハリウッドドリーム(その父バブルガムフェロー)は1勝のみに終わったが、イタリア1000ギニーなど重賞を3勝したオリンピアデュカキスが祖母にあたる。

 当歳で出会った当時より、中尾秀正調教師は大きな夢を託していたという。
「うっとりするようなバランス。この父らしいうるささも目立ちましたが、ノーザンファーム空港での育成も順調に進みました。2歳の6月には札幌競馬場へ。ところが、デビュー目前まで進んだところで右飛節を骨折してしまった。それはショックでしたね」

 患部も癒え、3歳7月の阪神(ダート1400mを3着)で初出走を果たす。しかし、当時はまだ気性が若く、肉体面も良化途上。その後の3戦も勝ち切れず、未勝利戦は終了。地方・名古屋に移籍した。

「調教で好タイムが出るとはいえ、後躯の緩さが課題でした。ハミに頼って走り、いざとなってフォームがバラバラになってしまう。勝負は古馬になってからと見ていましたよ」

 短期間で3戦2勝し、再転入の要件を満たすと、成長を促すべくしっかりリフレッシュ。帰厩後はきめ細かい対処が実り、想像どおりに進歩を示す。

「4歳3月の復帰戦(阪神、ダート1400m)は、息が持たずに6着でしたが、だいぶ落ち着いて実戦に臨めるようになりました。一戦ごとに体質も強化。見違えるように踏み込みが力強くなりましたね。抜群のスタートセンスが長所。スピードの違いで先へ行け、いろいろ小細工する必要もありません」

 続く京都(ダート1400m)でJRA初勝利を収めると、阪神の芝1400mも鮮やかに連勝する。初体験のターフを軽快に逃げ、ラスト3ハロンもメンバー中で最速。後続を4馬身もちぎり捨てた。タイムは1分19秒9のタイレコードだった。

「骨折箇所だけでなく、かつて球節ももやもやしがち。それで芝を試すのが遅れたんです。フットワークがきれいなので、適性は高いと見ていましたが、一気に展望が開けた思い。想像以上の走りに目を丸くしました」

 早めにハミを噛み、丹後半島特別は6着まで後退したが、瀬田特別を完勝。3か月半ぶりの長岡京S(4着)を叩き、醍醐Sに勝利する。初めての1200mに対応でき、鞍上(福永祐一騎手)も「これならサマースプリントを狙える」とコメントした。

 初の重賞挑戦となったシルクロードSは8着に敗れたが、少し遠回りしたぶんもエネルギーに転じ、一気にプロスパー(栄える、繁盛する)のモードへと突入する。阪急杯ではついに重賞制覇を成し遂げた。

 すっと行き脚が付いて好位をキープ。前半3ハロンが33秒7の激流にもかかわらず、勝負どころでも手応えに余裕があった。早めに先行勢が脱落しても、力強いフットワークでゴールへと邁進。1馬身半差の圧勝だった。

「高松宮記念(5着)ではラストで伸び切れませんでしたが、まっすぐな性格のまま。経験を積むごとに課題をクリアしてくれました。時計勝負に不安はないですし、雨が降っても大丈夫なのがスペシャルなところです」

 CBC賞は重馬場となったが、2番手を手応え良く進み、正攻法で押し切った。2着とコンマ1秒差であっても、圧倒的なパフォーマンスだった。

 だが、暑さの影響を受け、スプリンターズSは12着。翌冬に調子を上げ、シルクロードS(4着)、阪急杯(2着)と健闘する。高松宮記念も6着に食い下がった。

 久々に1600mを試したマイラーズC(6着)を経て、再びCBC賞へ。ターフの大魔神(元プロ野球投手の佐々木主浩氏がオーナー)は、みごとに剛速球を投げ込む。58キロのトップバンデを背負いながら、好位からきっちりと差し切りを決めた。タイムは、昨年にマークしたレコードを更新する1分8秒0だった。

 スプリンターズS(4着)、シルクロードS(4着)などで見せ場をつくったものの、結局、以降は未勝利に終わった。8歳時のスプリンターズSを出走取り消し。右前の深屈腱炎が確認され、引退が決まった。

 ハシモトファームで種牡馬入りしたものの、破格の速力は後世へとつながらず、わずか2年の供用で用途変更。15歳にして逝去した。それでも、入魂のストレートで完封した猛々しきパフォーマンスは、いつまでも熱き感動を伴って生き生きと蘇えってくる。