サアカスの馬たち
~グレードレース メモランダム~
マイネルモルゲン
【2004年 ダービー卿チャレンジトロフィー】長い夜でも朝の訪れを信じて
2022年に定年を迎えるまでにJRA通算434勝、重賞17勝を積み上げた堀井雅広調教師。27年間に亘るトレーナー人生のなかでも、2004年はゴールデンイヤーだった。新潟2歳S、朝日杯FSを制し、2歳チャンピオンに登り詰めたマイネルレコルトが登場。マイル戦線で息長く活躍したマイネルモルゲンが重賞を2勝し、最も輝いたのも同年だった。トレーナーはこう感慨深げに振り返る。
「ずっと厩舎を牽引してくれたのがモルゲン。あの馬がいて、いろいろ学べたからこそ、レコルトも飛躍できたように思う」
母モーニングタイド(その父シーキングザゴールド)はアメリカで1勝したのみだが、祖母にイースタンドーン(芝1600mの仏G3・オマール賞)を持つマイネルモルゲン。多数の米G1馬を送り出しているマウントリヴァーモアが配され、輸入後に誕生した持ち込みである。
「もともと大きな夢を抱かせた素材。早い時期から調教の動きが抜けていたもの。ただ、反応が良すぎ、実戦では不発が多くて」
2歳5月、美浦に入厩。初めて一杯追われたウッドコースで5ハロン63秒台の好タイムを叩き出し、函館競馬場へ移動した。初戦のダート1000mは3着だったものの、翌週の芝1000mを楽々と抜け出す。
ラベンダー賞(2着)、函館2歳S(3着)、デイリー杯2歳S(3着)と惜敗が続いたが、百日草特別をレコードタイムで逃げ切った。朝日杯FS(7着)以降、4戦続けて重賞の壁に跳ね返されても旺盛な闘争心はまったく失われない。ベンジャミンSでオープン勝ちを果たし、NHKマイルCでも3着に健闘した。
3歳秋の京成杯AHは12着に敗退。しかし、後方で脚がたまったポートアイランドSを鮮やかに差し切ってポテンシャルの高さを再認識させる。それでも、なかなか成績は安定しない。4歳春まで6連敗を喫した。
「折り合い面が課題となり、自身との戦いが続いたよ。丁寧にコミュニケーションを図るように努めた結果、ようやくリズム良く走れ、タイトルに手が届いたのがダービー卿CTだった。前を見ながら中団で我慢が利き、スムーズな進出からラストでもうひと伸び。接戦を勝ち切ってくれた。もどかしい思いをしたぶん、能力が発揮できたときの喜びは格別なものがあったね」
安田記念(7着)を走り終え、しっかりリフレッシュ。10キロ増で臨んだ京王杯AHだったが、状態は絶好といえた。スローペースを味方に、鮮やかな逃げ切りを決める。
ところが、翌夏の関越S(4着)までの4戦は不本意な結果。パワーアップしたぶん、より制御が難しくなる。脚元へのダメージも大きかった。
そんななかでも、力強く馬群を割り、京王杯AHを連覇。結局、これが最後の勝利となったが、陣営の熱心な仕上げに応え、たびたび掲示板を賑わせる。ラストランは7歳時のニューイヤーS(11着)。惜しまれつつターフを去った。
「晩年になっても若々しいまま。たくさんの勇気や希望を運んでくれた。いまでも悩むことがあったら、あの馬のことを思い出して、『いずれ朝(ドイツ語でモルゲン)が来る』って、自分に言い聞かせているよ」