サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

バンブーエール

【2008年 JBCスプリント】夢のゴールへ、熱きエールを受けて

 エスポワールシチー(JCダート、フェブラリーS、南部杯3回、かしわ記念 3回、JBCスプリント)でダート界に一時代を築いた安達昭夫調教師。それに先駆け、厩舎に初となるG1の勲章をもたらしたバンブーエールのことも忘れてはならない。安達トレーナーは、こう健闘を称える。

「4歳時に左ヒザを骨折。競走能力喪失に相当する重傷(剥離骨折などと違い、手術が不可能な板状骨折という故障形態。最終診断は全治1年)だと、JRAの獣医師から告げられたほどです。それを乗り越え、無事に走り続けただけで信じられない出来事なのに、復帰後はあっという間にJBCスプリントまで登り詰めてしまった。あんなに充実するなんて、とても想像できなかったですね」

 ダートでコンスタントに良績を収めたアフリートの産駒。母はイギリス産のレインボーウッド(その父レインボウクウェスト、不出走)であり、同馬の叔父にサラトガシックス(米G1・デルマーフューチュリティS)、ダンビース(英G1・フューチュリティS)がいる。

 2歳7月の小倉(芝1200mを3着)で早々とデビューしたバンブーエール。3戦目となった同開催のダート1000m)で未勝利を脱出する。7か月の休養を挟んで、翌春の阪神、ダート1200mもあっさりと連勝を飾った。距離を延長させた端午S(7着)を経て、昇竜Sに優勝。ユニコーンSを5着した後、2000mのジャパンダートダービーやダービーグランプリでも2着に食い込んだ。

 平安S(16着)、佐賀記念(12着)と思わぬ大敗を喫したものの、潜在していたスピード指向が表面に出始めていた。スプリント戦に舵を切り、コーラルSで2着に巻き返したうえ、栗東Sで1年ぶりの勝利を収める。

 勢いに乗った矢先、1年2か月もの休養。ただし、結果的には成長を促す機会となった。復帰戦のプロキオンSから4着に健闘。北陸S、BSN賞、ペルセウスSと、次々に差し切りを決める。

 そして、同年は園田競馬場で行われたJBCスプリントへ。古豪のブルーコンコルド(4着)に1番人気(単勝1・7倍)は譲ったが、2・7倍の支持を集め、一騎打ちのムードだった。小回りコースを意識して、果敢に先手を奪うと、後続に息を入れさせない絶妙のペースを演出した。ゴールまで脚色は衰えず、追いすがるスマートファルコン(2着)を堂々と振り切る。持ち乗りで担当した森崎教太調教助手も、感動に震えたという。

「もともと垢抜けたスタイルをしていましたが、ちょっと頼りない感じが残っていたんです。内臓に弱さがあり、たびたび腹痛を訴えたり。それが、すっかり安定して好状態をキープできるようになりましたよ。デビュー当時より20キロくらい体重が増え、ぐんとパワーアップ。他馬を怖がったりする精神的な危うさも解消しました。真面目な性格ですし、普段はどっしりしていても、闘争心や勝負根性がすごいんです」

 みごとに栄光をつかめたのも、陣営の深い愛情があったからこそ。左前の蹄だけ小さく、負担がかかりやすい肢勢ではあっても、森崎さんの熱心なケアによって、ぎくしゃくしがちだった歩様も、すっかりスムーズになった。

 根岸S(5着)、フェブラリーS(8着)は足踏みしたものの、世界の一線級を相手にドバイゴールデンシャヒーンで4着に健闘。さきたま杯(2着)、プロキオンS(3着)を経て、クラスターCで復活の勝利を収める。小細工せず先手を奪い、ハイラップを刻みながらも驚異の粘り腰を発揮。力の違いでねじ伏せる強い内容だった。東京盃も連勝を重ね、二度目の頂が視界に入ってきたところで、左前に屈腱炎を発症。復帰を果たせず、種牡馬入りするととなった。

「トップに立てる器だとずっと信じていて、勝たせてあげないと馬に申し訳ないとも思っていました。願いがかなった喜びは格別でしたね。まだ奥があると見込んでいましたので、道半ばでのトラブルは無念でなりませんが、卓越したポテンシャルを十分にアピールでき、あきらめないことの大切さを教えてくれました。巡り会いに感謝しています」(森崎助手)

 産駒は希少だが、キャッスルトップ(ジャパンダートダービー)が父の無念を晴らしてタイトルを奪取している。地道に努力を重ねる2世たちに熱きエールを送りたい。