サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

ビワタケヒデ

【1998年 ラジオたんぱ賞】偉大な母に捧げる入魂の一撃

 ニューマーケットのディセンバーセールにて3万1000ギニー(約520万円)で落札されたパシフィカス。父は数々の名馬を送ったノーザンダンサーであり、母パシフィックプリンセス(その父ダマスカス)も米G1・デラウエアオークスを制している。ただし、イギリスで11戦2勝という凡庸な競走成績。繁殖としても期待されていたわけではなく、現地に残した産駒は下級条件や障害でしか勝利していない。

 ところが、日本に渡り、その名を一気に高めることとなる。輸入直後に誕生したのがビワハヤヒデ。無名だったシャルードの仔ながら、皐月賞やダービーを2着したうえ、菊花賞に優勝。天皇賞・春、宝塚記念でも断然人気に応えた。ひとつ下の半弟にあたるナリタブライアンは、朝日杯3歳S、クラシック3冠、有馬記念を立て続けに圧勝。父は日本競馬に一時代を築いた築くブライアンズタイムである。

 2頭の牝を産んだ後、パシフィカスは待望の牡馬を身ごもった。しかも、すでに一流の評価が定着していたブライアンズタイムが配されたナリタブライアンの全弟。それがビワタケヒデだった。

 兄たちが残した興奮が冷めないうち、2歳11月の京都(芝1600m)でデビュー。ファンの注目が集まったなか、大きく置かれ、向正面では落馬して競走を中止した。だが、レース後の検査でも脚元などに異常は確認されず、翌月の阪神、芝2000mへ。ここでも8着に沈む。

 当時はいかにも体力不足で、追われてふらつく状況だった。それでも、3戦目に芝1400mを試し、早め先頭から押し切りに成功。昇級後もつばき賞(4着)、梅花賞(2着)と着実に前進する。

 弥生賞(12着)は厚い壁に跳ね返されたが、若葉Sでは3着に巻き返す。中身が充実するとともに、危かった操縦性にも磨きがかかってきた。夏木立賞を2着した後、かきつばた賞を豪快に追い込んで2勝目をマークする。

 勢いに乗り、ラジオたんぱ賞へ。小回り特有の息が入らない流れとなったが、中団でしっかり脚をためることができた。直線で力強く抜け出す。背後からメイショウオウドウが鋭く迫ってきたが、クビをぐっと前へ出したところがゴールだった。

「まだまだ成長途上なのに、歯を食いしばってがんばった。大した馬だよ。兄の後を追い、もっと上を目指してほしい」
 と、藤田伸二騎手は愛馬に優しく視線を送った。

 果敢に小倉記念へ挑み、3着を確保。すっかり心身のバランスが整い、トップクラスとの対決に期待が高まったが、秋の大舞台への調整過程で右前脚に屈腱炎を発症してしまう。早すぎる引退が決まった。

 種牡馬としては期待に反したビワハヤヒデや、早逝して2世代しか供用できなかったナリタブライアンと同様、サイアーラインを発展させることができなかった。疾病により右目を失明する不運にも見舞われる。それでも、無事にトラブルを乗り越え、2020年、25歳にて天国に召されるまで功労馬として幸せに余生を過ごした。

 完熟手前で未来が途切れてしまったとはいえ、偉大な兄たちに続く重賞勝ちを飾ったビワタケヒデ。三男が放った輝きも、いまだに鮮明なままである。