サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

ビートブラック

【2012年 天皇賞・春】巧みな戦術で強敵を打ち破った天下分け目の淀の陣

 28歳の若さでトレーナーとなり、2019年に引退するまでにJRA通算722勝を量産した中村均調教師。キョウエイウオリア(中山大障害・春)、トウカイローマン(オークス)、マイネルマックス(朝日杯3歳S)、マイネルセレクト(JBCスプリント)をはじめ、数々の名馬を育てているが、ビートブラックも強烈なインパクトを放ったチャンピオンホースである。

 父ミスキャストはサンデーサイレンスの後継であり、その母は安田記念やマイルチャンピオンシップに勝ったノースフライトという優秀な血統背景。産駒は希少ながら、一発長打の可能性を秘めていた。母アラームコール(その父ブライアンズタイム)は、ダートで5勝。同馬も2歳の10月、京都のダート1800m(4着)でデビューした。

「当歳で出会ったときはころんとした体型。芝向きの軽快さは伝わってこなかったなぁ。育成先の大山ヒルズで乗り込みが進んでも、本当にのんびりした性格でね。でも、地味な印象に反して、手元に来てからは調教駆けした。距離適性は短めかと思わせたよ」
 と、馬づくりのベテランは懐かしそうに振り返る。

 7戦目となった2月の阪神(ダート1400m)で、ようやく未勝利を卒業。ただし、続く同条件の500万下は11着に敗退し、クラスの壁を感じさせた。

「ダートでは意外と味がない。明確な根拠があったわけではないが、あのレースをきっかけに逆の方向へ目を向けてみたんだ。想像以上の走り。芝ならば闘志を燃やし、他馬が迫っても渋太さを発揮できる。一気に展望が開けたね」

 4月の阪神、芝2200mでは2番手を進み、1馬身差の3着に粘る。勝ち馬は後に重賞を5勝するトゥザグローリーだった。3戦目のターフ、夏木立賞で2勝目をマーク。白百合S(5着)を経てリフレッシュを挟むと、さらにたくましさを増していく。

「いい体になって帰ってきたが、使わないとやる気を出さないタイプ。弥彦特別(7着)を叩き、反応が変わってきたね。兵庫特別では、春に先着を許した馬(新緑賞2着時の優勝馬であるブレイクアセオリー)を負かした。しかも、重馬場は苦手で、かなりノメっても勝てたんだ。菊花賞時はデキも絶好に。いきなりのG1でも、いいところがあると見込んでいた」

  13番人気の低評価を覆し、菊花賞を3着。展開の利があったとはいえ、ジャパンCを制するローズキングダム(2着)とはクビ差であり、1000万を勝ち上がったばかりとは思えないパフォーマンスだった。オリオンSはクビ差の辛勝だったが、並んで渋太い持ち味をフルに発揮。さらなる前進が予感された。

 日経新春杯はハナを切ったのが裏目に出て10着。先行力が武器でも、前に馬がいないと闘志が長続きしない。ダイヤモンドS(4着)は控える指示をしたところ、出遅れたこともあって最後方からの競馬。ラストは34秒9の脚を見せている。苦い敗戦もスケールアップにつながった。大阪ハンブルクCでは順当に差し切り勝ちを収めた。

「その先を考えたら、賞金を加算しないといけない立場。絶対に取りこぼせない一戦だった。間隔を取ったうえ、しっかりと負荷をかけたよ。ラストの瞬発力に欠けるとはいえ、以前より決め手が磨かれていることもわかり、収穫は多かったね」

 初挑戦となった天皇賞・春は7着。それでも、最後に盛り返す脚を見せていた。宝塚記念も11着に沈んだものの、可能性を信じて、根気強く鍛え上げていく。

「流れに左右され、そう簡単にははまらないが、手脚が丈夫で、鍛えて味がある個性。緩めると前向きさを失うだけに、どう気合いを乗せるか、それがポイントだった。でも、帰厩後10日で臨んだ京都大賞典で2着したように、容易にスイッチが入るようになってきたからね。またどこかで、あっと言わせられる手応えはあったんだ」

 アルゼンチン共和国杯(5着)、ステイヤーズS(11着)、日経新春杯(4着)、ダイヤモンドS(6着)、阪神大賞典(10着)と、成績は上下動を繰り返す。だが、大目標は2度目となる淀の頂上決戦。渾身の仕上げが施され、過去最高の状態が整った。

「3週続けてびっしりと攻めた。どんどん反応が上向いたよ。驚いたのは最終追い切り。脚が上がるのを承知で飛ばしたのに、ラストでまた加速したもの。ひょっとしたらと思わせた」

 そして、再度、挑んだ淀の陣。単勝1・3倍の断然人気に推されたオルフェーブル(11着)を筆頭に、トーセンジョーダン(2着)、ウインバリアシオン(3着)など、豪華メンバーが揃ったなか、14番人気(単勝159・6倍)の低評価を覆し、みごとに天下獲りがかなう。ハナに立ったゴールデンハインドとともに後続を引き離し、2周目の3コーナーで先頭へ。後続に4馬身差を付ける痛快な押し切りだった。圧倒的に劣勢の戦況を打ち破るべく、知将は綿密に作戦を練っていたという。

「春の天皇賞に関しては、それまで縁がないレースだった。前年のビートブラック以外に、マイネルアンブル(03年に12着)しか出走経験がなかったので、なにか有効な手立てはないかと、過去のビデオを繰り返し見たが、これといった傾向も見出せない。思い浮かんだのは、前々で3着に粘った菊花賞だった。残り3ハロンくらいから勝負に出るしか勝機はないだろうと。すべてがうまくいったね。通常はオーバーペースでも、なかなか止らない高速馬場。1枠1番を引く幸運に恵まれ、ジョッキー(石橋脩騎手)も迷わずにベストのポジションを取り、ベストのタイミングで仕掛けてくれた」

 宝塚記念(9着)以降は未勝利に終わったが、アルゼンチン共和国杯を4着し、ジャパンC(7着)でも大逃げを打って場内を沸かせたビートブラック。有馬記念(9着)、京都記念(4着)と歩んだところで屈腱炎を発症してしまい、1年2か月ものブランク。7歳時の大阪杯(8着)がラストランとなった。思い出の京都競馬場で誘導馬を務めたうえ、2024年、天国へと旅立った。

 歴史の知識が豊富な中村調教師。戦国武将では強大な兵力にものを言わせるタイプは好まず、真田幸村など、巧みな戦術で敵を倒す物語を愛する。トレーナーとしての歩みを見ても、決して良血を好まず、馬そのものの資質や特徴を重視し、調整方法やレース選択、戦法に工夫をこらすことによって、勝ち鞍を積み重ねてきた。ビートブラックは、まさに師らしい傑作といえよう。