サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

ビービーガルダン

【2009年 キーンランドカップ】天下統一にあと一歩まで迫った勇敢な武将

 2014年に引退を迎えるまで、ワンダーパヒューム(桜花賞)やセイウンワンダー(朝日杯FS)をはじめ、数々のトップホースを育ててきた領家政蔵調教師。スプリント部門の傑作といえば、ビービーガルダンの名が真っ先に挙がる。

 マイネルキッツ(天皇賞・春)、マイネルレコルト(朝日杯FS)らを送り出した万能タイプのチーフベアハートが父。同馬は母オールザチャット(その父ウエストミンスター、芝1200mの豪G3・スイートエンブレースSに優勝)のスピードを色濃く受け継いでいた。

 ジュンガル王国の君主であるガルダンの名が付けられた同馬は、2歳7月、函館の芝1200mで鮮やかに新馬勝ち。当初よりゲートの鋭さや速力には目を見張るものがあった。クローバー賞を2着し、札幌2歳S(12着)へと進んだものの、軽度の骨折があり、10か月間、レースから遠ざかる。

 若駒時代の同馬について、持ち乗りで愛情を注いだ宇佐見眞調教助手はこう振り返る。

「もともと黒光りする好スタイルが自慢。こんなに皮膚が薄い馬は滅多にいません。ただ、体質は繊細でしたね。体型的にスプリンターとも思えなかった。首周りが太くなり、筋肉の張りが変わってきたのは古馬になってからです」

 骨膜炎に悩まされながらも、復帰3戦で500万下を卒業。昇級4戦目となる千葉日報杯をアタマ差の2着したあたりからエンジンがかかり、袖ヶ浦特別、TVh杯、札幌日刊スポーツ杯と一気の3連勝を飾る。キーンランドCで2着に健闘。初のG1挑戦となったスプリンターズSも3着に食い込み、非凡な才能をアピールした。

「以前は使っていくうちにイレ込み、気持ちが空回りする傾向にありました。体力の向上だけでなく、内面の成長も大きかったですね。オン・オフが適度に切り替わるようになったんです。普段は大人しいのに、レース直前になると目をギラギラさせ、すごい気合い乗りを見せました」

 京阪杯(6着)は期待を裏切ったが、5歳になって一段と充実。2番手から悠々と抜け出し、阪急杯では初重賞制覇を成し遂げる。だが、初の左回りとなった高松宮杯は、外へふくらんで16着。左前が外向しているため、手前の替え方に課題を残していた。距離の壁に阻まれ、マイラーズCも8着に終わる。

 しっかり態勢を整え直し、得意の北海道に照準を定めることに。キーンランドCで2つ目のタイトルを奪取する。すっと好位に取り付き、直線では一気に後続を突き放した。余裕の勝利に、安藤勝己騎手も涼しく笑みを浮かべる。

「レース間隔は開いたけど、稽古の感触でやれると思った。スタートが決まったし、道中の手応えも抜群。とにかく洋芝は走るよ。先頭に立ってふわっとしたあたりが解消すれば、次の大舞台だってチャンスがある」

 その言葉どおり、スプリンターズSは勝ちに等しい内容。逃げたローレルゲレイロを追い詰め、わずか1センチ差の2着に惜敗する。

 6歳時の高松宮記念(2着)もハナ差の接戦。舞台を問わずに走れるようになってきた。だが、運に見放され、函館スプリントS(2着)以降は結局、未勝利。馬群に包まれ、脚を余すシーンが何度もあった。

 7歳になって再び上昇を示し、キーンランドCを2着。スプリンターズSに臨んだが、ゲート入り直後に放馬し、馬場を3周も走り抜け、無念の除外となった。そして、阪神Cの直前、右前を骨折し、引退、種牡馬入りが決った。

 あと一歩でG1制覇はかなわなかったとはいえ、トップレベルのポテンシャルを垣間見せたビービーガルダン。種牡馬としてはJRAで1勝のみしか成績を挙げられず、乗馬に転身したが、威風堂々とした雰囲気は変わらないという。いつまでも幸せに余生を送ってほしい。