サアカスの馬たち
~グレードレース メモランダム~
ヒルノダムール
【2011年 天皇賞・春】強固な信念で乗り切った長き道程
2009年にチャンピオンサイアーとなった以降も高いレベルで安定度を保ち、様々なカテゴリーに一流馬を送ったマンハッタンカフェ。芝の王道路線の代表格であり、父に続いて天皇賞・春を制覇したのがヒルノダムールだった。母シェアエレガンスは芝のマイルで2勝をマーク。祖母のメアリーリノアが仏G1・マルセルブサック賞を制した名牝である。まだ当歳だったヒルノダムールを見た瞬間から、昆貢調教師は非凡な素質を感じ取っていたという。
「とても小さかったけど、柔軟な身のこなしに感じさせるものがあったよ。ラムタラの肌らしくきつそうな気性。でも、優等生よりもやんちゃなタイプが好みだから」
育成先のグランデファームでは地味な存在だったが、2歳秋に入厩した直後には坂路を馬なりで51秒3。めきめきと頭角を現す。
「2戦目(京都の芝1800m)で勝ち上がったとはいえ、抜け出してふわっとした新馬(東京の芝2000mをクビ差の2着)も、将来に自信を深める内容。ラジオNIKKEI杯2歳S(コンマ2秒差の4着)は、窮屈な競馬を強いられたしね。若駒Sを勝った当時だって、5月後半の遅生まれだけに依然として完成途上。慎重にローテーションを組み立てたなか、よく健闘してくれたよ」
若葉Sはぶつけられる不利もあって2着に泣いたが、皐月賞では大外一気の豪脚で2着に食い込む。ダービー(9着)はスローからの決め手比べに。大外から脚を使いながら、差が詰まらなかった。まだ心身が若く、想定以上に体重が減ってしまう誤算も響いた結果である。
「馬体の維持を優先し、札幌記念(4着)をステップに菊花賞(7着)へ。ダメージは少なく、それ以降の3戦も本気で走っていないように感じられたなぁ。もう2着はいらない。大阪杯は前哨戦の仕様ではなく、本気でいじめてみた。それが勝ちにつながったし、ようやく目覚めた実感があったね」
トレーナーの情熱に後押しされ、最高のパフォーマンスを演じる。直線で前が開くと内目からスパートして先頭へ。ゴール前では末脚に賭けたダークシャドウがハナ差まで迫ってきたが、粘り強く退けた。タイムは1分57秒8のレコード。力でもぎ取った価値ある勝利であり、これで完全にひと皮むける。
目まぐるしく先頭が入れ替わるスリリングな展開となった天皇賞・春。折り合いを欠く他馬に惑わされずにスタミナを温存し、堂々と突き抜けた。ついにG1のタイトルに手が届く。
「ディープスカイ(08年ダービー、NHKマイルC)やローレルゲレイロ(09年高松宮記念、スプリンターズS)のときとは違った達成感があった。なかなか重賞に勝てず、ずいぶん悩んだから」
渋った馬場のスローペースでインから脚を伸ばした天皇賞・春の内容から、陣営は凱旋門賞でも通用する手応えを得ていた。入念な下準備を積んで渡仏し、前哨戦のフォワ賞で「短首」差の2着。しかし、世界の壁は厚く、本番は10着に敗退する。
さらなる飛躍を目指したものの、有馬記念(6着)以降も歯車が噛み合わず、再びトップには立てなかった。5歳夏の札幌記念(3着)がラストラン。右前脚に浅屈腱炎を発症し、種牡馬入りが決まった。
5年間の供用で目立った活躍馬を送り出せず、乗馬となって静かに余生を過ごしているヒルノダムール。それでも、非社台グループ系の雄として強豪に立ち向かい、日本の代表格まで上り詰めた姿は、多くの関係者に勇気を与えた。昆調教師も、こう感慨深げに振り返る。
「日高地区にも逸材は潜んでいて、それを発掘しないのはもったいないと思ってきたし、エリートたちを打ち負かすのにはきちんと磨く技術が不可欠となる。そんな信念に馬が応えてくれ、本当にうれしかった」