サアカスの馬たち
~グレードレース メモランダム~
アルナスライン
【2009年 日経賞】気は優しくて力持ち
ノーザンファーム空港で育成されていた当時から、ひと際目立つ馬格を誇っていたアルナスライン。2歳5月、栗東の松元茂樹厩舎に入厩した時点で、体重は580キロもあった。
調教パートナーを務めた田代信也調教助手は、こう懐かしそうに振り返る。
「厩からのぞかせた顔が驚くほどでかくてね。頭絡のサイズを調整する金具も、目いっぱいに延ばした位置で固定しないと。でも、すべてのパーツが大きいだけで、他の馬を眺める場合よりも後ずさりすれば、バランスの良さに見惚れてしまう。ついに超大物と出会えたと思ったなぁ」
父はダービー馬のアドマイヤベガ。規格外のスタイルは、母エラティス(その父エルグランセニョール、アメリカ産で英1勝)譲りであり、同馬の半姉にあたるツルマルグラマー(ファンタジーSを2着)、半弟のオーヴァージョイド(5勝)も大柄である。
「なかなか絞れず、ノドもゴロゴロ鳴っていた。中身がしっかりするのに時間がかかるだろうと想像したね。それでも、ゲート試験に跨ったとき、これはものが違うぞって、わくわくさせられたよ。イメージ以上に鋭く反応し、一発で合格。デビュー戦は惨敗(6月の京都芝1400mを11着)したが、まだ気持ちも乗っていなかったし、全身をうまく使い切れなかった」
一戦しただけで、いったん放牧へ。その後は順調にステップアップしていく。11月の福島(芝1800m)をあっさり差し切ると、2勝目はダート(樅の木賞)でマーク。京成杯を3着した後、すみれSでは33秒台の末脚を繰り出して、堂々のオープン入り。しかし、左前脚の剥離骨折が判明する。7か月半、戦列から離れることになった。
「さあ、クラシックと意気込んだ矢先だけに、ショックだった。でも、アクシデントを乗り越えて、体も心も大人に。いい休養になったよ」
いきなりの切れ味勝負に対応し、京都大賞典を3着と健闘。しかも、インフルエンザ発生の影響により、予定よりも帰厩が遅れる誤算もあり、完調手前の状態だった。
「菊花賞(アタマ差の2着)は、少し腹回りに余裕があった。早めにハミを噛んでしまう誤算もあったしね。それでも、心肺機能の強化を実感。調教では口先だけでなく、深く呼吸させるように心がけていた。だんだん追い切りでも、ラスト5ハロンあたりで豪快に息を吸い込むようになったよ。あれだけの巨漢だから、すごい音がする。そして、直後にはビュンと加速するんだ」
半年間の休養を経て、メトロポリタンSでは6馬身差の圧勝劇を演じる。目黒記念もクビ差の惜敗。だが、イメージに反して道悪は不得手だった。宝塚記念は10着に沈む。
京都大賞典(5着)より再スタートしたが、ここで包まれて脚を余したことが、その後に大きく響いた。アルゼンチン共和国杯は、58キロのトップハンデに泣き、あと一息の3着。勝ち馬のスクリーンヒーロー(ハンデ53キロ)がジャパンCの覇者となり、2着のジャガーメイル(56キロ)も香港ヴァーズで僅差の3着と躍進したのに、重賞未勝利だったことで、大目標に掲げていたJCには登録もできなかった。急遽、参戦を決めた有馬記念も6着。すっかりリズムを崩し、アメリカCC(6着)でも本来の走りは見られなかった。
「体にふさわしい心肺機能や筋肉を備えるのには、豊富な乗り込み量が必要。ただ、外見に反して、意外と繊細でね。やりすぎたら反動も大きい。器用さを欠くレースぶりにも表れているけど、利き脚の右手前ではしきりに行きたがり、かっこよく乗っていたらバンバン持っていかれるよ。プールを活用し、他馬よりも長めにハッキング。脚元のケアにも気を遣った」
そんななかでも、陣営は懸命にメニューを工夫。ついに執念が実ったのが日経賞だった。初めて着用したチークピーシーズの効果もあり、すっと好位に取り付く。行きたがるのをインで我慢。流れが速くなった3コーナーで息が入った。満を持して追い出されると、長く脚を駆使。待機勢を堂々とねじ伏せた。
「不運な流れも変わると思ったのに。さらに調子を上げ、完調で臨めた天皇賞・春(クビ差の2着)は右前を落鉄。もう一段、しっかり攻められた宝塚記念(6着)も前が詰まりっぱなしで、力を出し切れずに終わってしまった」
以降は爪のトラブルに泣き、11か月ものブランク。目黒記念(5着)で復帰を果たしたものの、左前肢に屈腱炎を発症し、引退が決まった。
「実力に見合った勲章を与えられなかったのは悔やまれるが、本当に頼もしい相棒だったよ。気は優しくて力持ち。付き合いが長かったぶん、運動中に話しかけると思いが伝わる気がしたし、逆にたくさんのことを教えてもらった」