サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

ヘッドライナー

【2010年 CBC賞】雨を抱きしめて躍動するロックフェスの主役

  スピードタイプの良績が突出している西園正都厩舎。これまで31勝している重賞のうち、01年阪神JF(タムロチェリー)、10年マイルCS(エーシンフォワード)、12年マイルCS(サダムパテック)、18年ヴィクトリアマイル(ジュールポレール)をはじめ、25勝がマイル以下で挙げたものだ。

 多彩な才能を誇る僚馬の陰に隠れていたヘッドライナー(合同コンサートでメインを務めるアーティストの意)ではあったが、6歳時のCBC賞では堂々と主役を演じる。痛快な逃走劇だった。

 好スタートから先手争いを制すると、淡々と平均ペースに持ち込む。ラストまでラチ沿いを一直線。降雨により外が伸びる馬場状態だったのにもかかわらず、最後まで脚色は衰えない。ダッシャーゴーゴーの強襲を3/4馬身差で退け、悠々とゴールに飛び込んだ。

 西園師は、感慨深げにこう振り返る。
「もともと潜在能力には自信を持っていたよ。ただ、若駒時代は体質が弱くて。種子骨靭帯のトラブルもあり、デビューが遅れたんだ。ずいぶんやきもきさせられたぶん、念願のタイトルに手が届いたときの喜びは格別だったね。結局、重賞は1勝のみに終わったけど、あの勇姿はいつまでも忘れられない」

 父はスプリント界で圧倒的な存在感を示したサクラバクシンオー。母は英1勝のヘバ(その父ヌレエフ)であり、米G1・デラウェアHを制した祖母ライクリーイクスチェインジに連なる母系である。一族にはフェアリードール(トゥザヴィクトリーやサイレントディールの母)もいる。社台サラブレッドクラブにて総額2000万円で募集された。

 社台ファームでの育成時は、乗り進めると左前脚の球節部分がもやもやする状況が続いた。3歳4月の京都(ダート1400mの未勝利)で、ようやく初出走。出遅れたうえ、4角では外に逃げるなど、若さを随所にのぞかせながらも、あっさり抜け出した。しかし、その後の走りは、なかなか安定しない。

「本当に激しい性格の持ち主。パシュファイヤーを着け、二重の耳覆いをしても、パドックで終わってしまう」

 ソエによる長期休養を挟み、4歳3月の中京で2勝目をマークしたものの、一気にテンションが上がり、「どこへ飛んでいくかわからない」気性は変わらない。思い切って、去勢することを決断。社台ファームより、直接、函館競馬場に入った同馬と再会し、師は変貌ぶりに驚いたという。

「効果はてきめん。まるで別馬だった。鞍上の指示どおりに動けるようになった」

 復帰緒戦のダート1000mを楽勝すると、昇級後も粘り強く健闘。もともと脚元がしっかりしたら、芝に向かおうと考えていた。ターフ転向2戦目の壬生特別を快勝。翌冬の斑鳩Sに勝ち、オープン入りを果たした。

 右前蹄を挫跖するトラブルに見舞われたこともあり、しばらくはリズムに乗れなかったものの、尾張Sで久々の勝利を挙げる。翌春には初のG1、高松宮記念(7着)にも挑んだ。テレビ愛知オープンを半馬身差の2着に逃げ粘って弾みを付け、CBC賞へ。みごとに念願の重賞制覇を果たしたのである。

 逃げ馬特有の危さを抱えながら、7歳になってからもテレビ愛知オープンに勝利。夏に強いセン馬であり、渋った馬場も得意だった。再びたどり着いたCBC賞も雨に迎えられ、2着に踏み止まった。8歳の阪急杯(15着)がラストラン。肺出血を発症したことから、現役を退くことになる。

 最後まで自己のスタイルを貫き通したヘットライナー。記録より記憶に残る個性豊かなフロントランナーだった。