サアカスの馬たち 
~グレードレース メモランダム~

ミスティックエイジ

【2003年 京都2歳ステークス】強靭なボディーに不屈の闘志を乗せて

 2歳時に栗東へ初入厩した当時より楽々と動け、1か月余りで出走態勢が整ったミスティックエイジ。11月の京都(芝1600m)でデビューすると、あっさり抜け出し、2馬身半の快勝を収めた。

 父は日本競馬を一変させたサンデーサイレンス。母ミスティックアイズ(その父イースタンエコー)は全8戦で2勝をマークしたうえ、1位入線で降着となる不運もあり、成績以上に存在感を示している。総額5600万円でサラブレッドクラブセゾンの募集馬となった。

 2戦目には京都2歳Sを選択。2014年に重賞となる以前も、ナリタブライアン、ヴィクトワールピサ、エピファネイアら、錚々た勝ち馬が名を連ねるクラシックへの登竜門である。生憎の不良馬場となったが、泥を被りながらも終始、余裕の手応えで好位を進み、きっちりと差し切りを決めた。

「いつもうなりながら行きたがり、折り合いが鍵でしたが、むしろ走りにくい条件がプラスに働き、冷静さを保てました。身のこなしが柔らかい一方、パワーも兼備。後躯の推進力が強烈でしたからね」
 と、飯田雄三調教師は会心の一戦を振り返る。

 ラジオたんぱ杯2歳Sも2着と健闘。スプリングSは出遅れが響き、11着に敗れたものの、皐月賞で5着と反撃する。だが、京都新聞杯があと一歩の3着だったことで、目指すダービーへは出走がかなわなかった。「残念ダービー」と呼ばれていた駒草賞を快勝して、秋への希望をふくらませる。

 ところが、北海道のチャンピオンズファームで再調整される過程で、左前脚に屈腱炎を発症してしまう。カムバックを果たすまでには、1年9か月もの時間が必要だった。その後に6戦を消化し、都大路S(クビ差の2着)、飛騨S(3コーナーで挟まれながら3着)と、マイル以下の条件に目を向けて復調を示したところで、炎症が再発する。

「悔やまれるレースの連続。普通はあきらめるタイミングなのでしょうが、なんとか復活させたいと、オーナーサイドにお願いしたんです」

 コスモヴューファームに放牧され、回復を待つ。当初の見込みよりも早く、10か月後にはターフに戻ることができた。復帰初戦の心斎橋Sはバランスを崩す場面もあり、16着に敗れたが、陣営の情熱は馬にしっかり伝わっていた。朱雀Sを鮮やかに差し切り、実に3年ぶりの勝利をつかむ。

「休ませても、あまりスタイルが崩れない。内に秘めた闘志がすごく、精神的にも簡単にはへこたれません。どの勝利もうれしいものですが、あんなに感激したことはなかったですよ」

 CBC賞でも4着に食い込み、さらなる前進が期待されたが、残念ながら6歳秋の富士S(18着)で脚元は限界に達した。それでも、余りあるエネルギーをストレートに発揮した若き日のべストレースは年月を重ねても鮮明に蘇えってくる。

「結局、重賞には手が届かなかったとはいえ、秘めたポテンシャルは桁違い。ずっと忘れられない一頭です」